「道を開けて!怪我人です!!」
緊迫した声が響く。
今日は大きな戦いがあった。怪我人が出ても不思議ではない。
しかし、城まで連れ帰るとは、しっかりとした設備が無ければ対応できないほどの重傷だということだ。……死の危険性もある。
仲間の一人がそんな状態なのだ。シーザーも顔を覗かせて様子を窺った。
「……ヒューゴ!」
血にまみれ、担架で運ばれて来たのは、ヒューゴだった。
シーザーは思わずその名を呼んで駆け寄りそうになったが、なんとか踏み止どまる。
自分が近寄っても意味は無い。むしろ邪魔になって処置が遅れるだけだ。
ギリっ……と唇を噛み締め、見送った。
ヒューゴがあの状態だということは、他の兵達も……。しかし、連絡は特に入っていない。
軍全体が壊滅状態というわけではないだろう。
ヒューゴをここまで連れて来た者が居るはずだ。その者に話を……。
そこまで考えて、シーザーは自嘲的な笑みを浮かべた。
自分の最も大切な者があんな状況だというのに、真っ先に考えるのは軍のこと。
軍師としては正しいのかもしれない。しかしシーザーは軍師であり、同時に恋人。
まずヒューゴのことを気にかけるべきだ。
シーザーは隣にアップルが居ることを確認すると、口を開いた。
「アップルさん、後お願いするよ。俺、今はろくに頭働かない。邪魔するだけだ」
「……そうね。早く行ってらっしゃい」
アップルが言い終わる前に、シーザーはもう駆け出していた。
* * *
医務室の前まで来たものの、予想通り、部屋の前は人、人、人。
「皆、ここに居たって仕方無いだろう。心配なのはよくわかるが、ヒューゴ殿の意識が回復したとしても、しばらくは面会謝絶のはずだ。今は、待つしかない」
シーザーが声を張り上げると、人々は暗い顔で散っていった。
シーザーは言いながら、自分で空しくなった。
今は治療中だ。治療が終わっても意識は無いだろう。意識が戻っても、人に会うことはできない。
自分がここに来たからと言って何もできはしない。
人に言った手前、ここに立ち尽くしているわけにもいかないが、かと言って軍師の役割を果たす余裕も無い。
どうしようかと考えあぐねていると、医務室の扉が開いた。
まさかもう治療が終わったのかと、そちらを見ると、現れたのはミオだ。
「ミオさん……」
「あぁ、軍師様。ちょうど良かった。中に入って下さい。どうせ仕事なんて手に付かないんでしょう?それに、今はあなたにしか頼めないから。ヒューゴ様の側に居てあげて下さい」
「ヒューゴ殿は……」
ミオは眉を顰めて首を振った。
「今、先生が処置なさってます。とにかく、中に入って」
シーザーは促されるまま、医務室に入った。
ミオは用事があると言ってそのままどこかへ行ってしまった。
処置の様子は見えない。
手近にある椅子に腰掛ける。
シーザーは何もできない。トウタを信じるしかないのだ。
己の非力さを呪った。
己の不甲斐なさに腹が立つ。
しかしそれもまた無意味だ。
今はただ、ヒューゴの無事を祈ろう。
城まで連れ帰るということは、裏を返せば城でならば……トウタならば助けられる可能性があるということだ。
* * *
どれ程時間が経ったのかわからない。
ヒューゴが処置室からベッドに移された。
ミオもいつの間にか戻って来ている。
ヒューゴの顔を覗き込むと、その血の気の無い顔が死人の様に見え、一瞬背筋が冷えた。しかし、そっと頬を撫で、その温もりに安堵する。
助けを求めるような目でトウタを見ると、険しい顔で口を開いた。
「さすが、と言いますか、傷は急所を避けています。しかし、出血が多すぎます。……意識が戻らない限りは何とも……」
視線をヒューゴに戻すと、手を握り締めた。
「……死ぬなよ、ヒューゴ」
トウタとミオは、隣の部屋に居る、と言って退出した。
* * *
数日が経った。
やはり、戦況は良好らしい。
短期間で勝利を収め、帰還の準備をしているところだという。
将を失って、この結果。かなり余裕のある戦いだったはずだ。
ヒューゴをここまで運んだのは、フーバーだという。最も速く、確実だ。
今も、心配そうに窓から顔を覗かせている。本当は側に寄りたいのだろうが、フーバーの巨体が通れるような扉は残念ながらこの部屋には無い。
ヒューゴが傷を負ったのは……自身の責任だ。
自分を庇って死んだ者がいた。それに逆上し、敵に突っ込んだ結果が……これだ。だが、自業自得とは言えなかった。
「ヒューゴ……」
何度、こうして名を呼んだか。
何度呼んでも同じだ。言葉は空しく散っていくだけ。
いつか、こんなことが起きてしまうのではないかと、不安だった。
最も恐れることが、現実になりつつある。
この手の温もりが消えてしまうのではないか。
もう二度と、その声で名前を呼んでくれないのではないか。
底知れぬ恐怖を感じる。
「ヒューゴ、目を……開けてくれ……」
この言葉も、何度口にしたか。
ヒューゴの命を感じられる唯一の手の温もりが、消えてしまうような気がして、強く握り締めた。
すると、掌に微かに圧力を感じた。
弾かれたように顔を上げ、ヒューゴの顔を見ると、うっすらと瞼が持ち上げられる所だった。
「ヒューゴ……?」
ヒューゴの翡翠の瞳が、シーザーの深い森の色をした目を見つめる。
シーザーは、ヒューゴを力一杯抱き締めた。
「良かった……ヒューゴ……!」
「シーザー……痛いよ」
「心配かけさせた罰だ。……ちょっとぐらい我慢しろ」
「うん……ごめん」
しばらくそうして、シーザーはトウタを呼んで来ると言って出て行った。
* * *
トウタは、意識さえ戻れば、もう大丈夫だと言う。
しかし、やはり面会謝絶だ。
多少ならば平気でも、炎の英雄の見舞客となれば、半端な数ではない。数が増えれば体力の消耗もそれだけ増える。
だが、シーザーがしつこく食い下がると、彼だけは面会を許された。
「……と言うわけで、俺はずっと側に居てやるからな」
シーザーが面会を許可された旨を伝えると、ヒューゴは素直に微笑んで礼を言った。
ベッドに半身を起こしているので、ベッドの脇の椅子に座るシーザーよりも、少し目線は上だ。
「シーザー……ごめん」
不意にヒューゴは視線を泳がせ、そう言った。
「何が?」
「こんなことになって……。わかってるんだ。オレは、オレだけは生き残らなきゃいけない。けど、仲間が目の前で死んでいくのを見たら……」
ヒューゴの顔に、少し陰りがさした。
死んでいった仲間を思い出したのだろう。
「オレが死んだら……オレのために……オレを信じて死んでいった人達の命が無駄になってしまう……。そんなこと、わかってるんだ……だけど、だけど……!」
ぱたぱたと、寝間着に落ちた水滴を見て、シーザーはベッドの縁に腰掛けてヒューゴの肩を抱いた。
「……お前は、護られるという事に慣れなきゃいけないな。……俺は、絶対にそんなことしたくないけど、皆を守る為にお前が先頭に立って戦わなきゃいけないこともある。そんな時こそ、お前は護られなきゃいけない」
こく……こく……と何度も頷き、ヒューゴはシーザーの胸に縋りついた。
嗚咽を噛み殺し、肩を震わせている。
「ルルと……っルルと重なっ……て……頭が、真っ白に……な……っ……」
ぽん、ぽん、とゆったりとしたリズムで肩を叩いてやると、ヒューゴはシーザーを抱く腕の力を強めた。
戦争は、いつでも残酷で無情だ。
どんなに大切なものでも、簡単に奪い去ってしまう。
「……ゆっくり寝て、休め。何も考えなくていい」
「うん……」
シーザーが涙を袖で拭ってやると、ヒューゴは布団に潜った。
何かを言いたそうにしているので、問い掛ける様な眼差しで見ると、ヒューゴは言いにくそうに小さな声で呟いた。
「……シーザー、ここに居てくれる?」
「当たり前だろ?」
答えを聞き、ヒューゴは照れ臭そうに笑って目を閉じた。
身体は休息を求めていたのだろう。すぐに規則正しい息遣いが聞こえてくる。
髪を、ゆったりとした動作で撫でながら安らかな寝顔を見つめていると、キュウゥ…と獣の様な、鳥の様な鳴き声が聞こえた。
「フーバー、居たのか」
首を精一杯伸ばしてヒューゴの様子を窺っている。
「ヒューゴなら大丈夫だよ。心配無い」
シーザーが言うと、その言葉を理解したのか、フーバーは静かに窓の外に座った。
ヒューゴが目を覚ましたらベッドを窓際に移動してやろう、と考え、ヒューゴに視線を戻す。
いつの間にか、目尻に涙の跡がついていた。
それを指で拭ってやる。
「……もう、泣かせないからな」
身を屈め、ヒューゴの乾いた唇に自分の唇を重ねた。
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