頭が重い。
体がだるい。
けどまあ、動かせないものでもない。
だから、横になることなく会議室の椅子に座って、大人達が小難しい話をしているのを聞いている。話し合いに参加しないのは、難しい話はヒューゴにはわからないからであり、またそんなことのために体を動かしたくなかったからだ。
(……熱、あるだろうなぁ)
体中を悪寒が這い回る。
寒いんだか暑いんだか、よくわからなくて奇妙な心持ちだ。
何かを考えるのが億劫でぼーっと机の上の地図を眺める。
ヒューゴがそうしているのはいつものことなので、誰も咎めなかった。
話が終わったらしい。人々が机から離れていく。
終わったのなら部屋に戻って横になりたいと思ったが、ここから動く気にもなれない。
ここにベッドが現れればいいのに。或いは、誰かがヒューゴを部屋まで運んでくれてもいい。
どちらにしろ、なかなか難しいことだ。
とりあえず現状維持に決めた。
「ヒューゴ?」
誰かが話しかけてくる。声で判断はできなかった。頭が正常に働かない。
今は放って置いてくれ、と言いたいのを堪えて声の主を見上げる。
シーザーだった。
束にまとめた紙を肩と手で軽く支えて、ヒューゴを見下ろしている。
「どうした?」
「……何が?」
相手は首を傾げて、ヒューゴの目をしばらく見続ける。
「調子悪いのか?」
「大したこと無いよ」
「そうか?部屋で寝た方がよくないか?」
「うん……そうだね」
口では同意を示したが、動く気はあまり無かった。
「辛いんだろ?付いてってやるから、部屋に行くぞ」
やはり動きたくはなかったが、動かなければどうしようもないので、緩慢に立ち上がった。
それだけで全身が粟立つような悪寒がする。唇を噛み締めて耐えた。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
口調だけはいつもと変わりないように努めた。
心配されてちやほやされるのは嫌だ。
ただ、普段通り体を運ぶのは困難で、その辺にあるものに体重を支えてもらいながら歩く。それをシーザーには見せなかったが。
シーザーは隣りを歩いていて、ヒューゴに合わせてゆったりと足を進めている。
扉に近付くと少し歩調を早めて先に扉を開け放し、ヒューゴを迎えてくれた。ノブの冷たい感触は非常に気持ちが悪そうだったし、筋を動かす量を最低限にしたかったので、すごくありがたかった。
ありがとう、と声をかけて先に外へ出た。
外の、太陽の光が目に痛い。少しぐらい曇ってもいいだろうに、と恨めしく思う。
シーザーは黙って再び横に並んだ。
会議室から外に出れば、人目が増える。これまでより更にしゃんとしなければならない。
寄り掛かれる壁が恋しいが、廊下の真ん中を堂々と歩く。
歩調も緩まないように、懸命に足を動かした。
「ヒューゴ様ぁ!」
ベルが、こちらに向かって駆けてきた。
早く部屋に行きたいとは思ったが、無視もできずに立ち止まる。
「やあ、ベル」
微笑みを顔に貼り付ける。
「今日はもう会議終わりですか?」
「うん」
彼女が普通に会話を続けるのを見ると、どうやら普段通りの顔をするのに成功したらしい。
彼女は言葉を続ける。
霞のかかる頭を自分で励ましてそれに答えた。
「……ヒューゴ、早く行こうぜ?」
シーザーが、飽きた、と顔に書いてこちらを見ている。
普段は会話に口を挟むことは無いのにどうしたのだろう、と不思議に思った。
「ちょっと!ヒューゴ様は今あたしと話してんのよ?」
「だから?」
「だから……って……」
「先約は俺だろ?割り込んできたのはそっちだ。そもそもヒューゴの都合も訊かないで話しかけんのが間違ってんだよ。俺と一緒にいるんだから、俺と用があるぐらい察しろよ」
ベルは何か言い返したい、けれど言い返せない。
大人気ない。年下の少女をここまで徹底的に言い負かす必要も無いだろうに。こんなに攻撃的なシーザーは初めて見た。
ベルがあまりに不憫で庇おうと思ったが、ヒューゴが何かを言う前にシーザーは歩いて行ってしまった。
「シーザー!……ベル、ごめん。シーザー、機嫌が悪いみたいだ」
「いいえ!ヒューゴ様が謝ることないです!」
もう一度ごめん、と詫びてシーザーを追う。
だが実際、ベルには申し訳無いことだが、ありがたかった。ベルとああして話しているのは普段は何ということもないのだが、今は拷問にも思えた。
階段を途中まで上って、シーザーはヒューゴを待っていた。追い着くとまた歩きだす。
無言の背中に、何か温かいものを感じた。
部屋に着けば、即座に布団に押し込まれた。
病人扱いは好ましくないが、抵抗する気もおきなかった。布団が恋しくて恋しくてしかたない。
「……本当に、大したことないんだけど」
口だけは、思うように動かせた。
「悪化したらどうすんだよ」
それ以上の反論に利は無いので、やめた。
シーザーが体に触れてこないので、体温がどれだけなのかは知れていない。ヒューゴ自身、どの程度か把握していなかった。
だが、どうでもいいことだ。
「シーザー、仕事は?」
「ん、いいさ」
「良くないだろ。戻りなよ」
シーザーはしばらく考えて、立ち上がった。
「じゃあ行くけど、何かあったらすぐ誰か呼べよ」
「ん」
そうして、シーザーが視界から消えた。静かな足音が響き、扉が開いて閉まる音。
音を聞き届けてすぐに呼吸が荒くなる。普通の呼吸は苦しかった。シーザーの前では、心配をかけるので穏やかに呼吸していたが、誰もいないこの部屋では何も気にする必要が無い。
そしてすぐに眠気が襲い来る。身体が休息を求めてヒューゴの全てを勝手に支配した。
口で呼吸を繰り返しながら、目を薄く開けて眠気に身を任せた。
身体が不調な時は心も不安定になるもので、一人でいるのは心細かった。
瞼が重くなっていくのを感じながら、今一番側にいて欲しい人物を思い浮かべる。
「……シーザー……」
呼び掛けに応えるように誰かが頬を撫でたが、もう既に眠っている頭が見せた夢なのか、実際の出来事なのか、判断がつかなかった。
追及はせずにそのまま眠りに身を任せる。

* * *

目を開けて、ぼーっと目の前を眺める。
自分の体の様子を探ると、眠る前より幾らか調子が良いようだった。
身を起こすと、壁を隔てた奥の部屋の執務机に向かう人物を見つけた。
シーザーだった。
「……?」
何故彼がここにいて、ヒューゴの執務机で仕事をしているのだろう。
ヒューゴが起きたことに気が付いて、彼は顔を上げた。
立ち上がって、開け放たれた扉をくぐってやって来る。軽く足音を響かせてすぐ脇に立つ。
「調子はどうだ?」
「……うん、悪くない」
正直に言ったが、シーザーは疑惑の眼差しを返す。
そうして身を屈め、ヒューゴの額にかかる髪を掻き揚げる。
顔が接近して、額が触れ合った。ひんやりとして快い。
つまりそれは、ヒューゴの体温の方が高いということ。
「やっぱまだ熱あるじゃん」
「でも、本当にだいぶ気分は良いんだ」
「……だいぶってことは、まだ完全じゃないんだな?」
顔が間近にあるまま言う。
三つに見える目が、微妙な強さを以て睨み付けた。
そんな言葉の端々まで気が付かなくていいのに、と苦い思いになる。
額が離れ、彼はまた真っ直ぐ立ち直す。
「トウタさんに薬もらってくるな」
「……ありがとう」
素直に厚意を受け取る。遠慮してもシーザーは結局それを為すだろうし、拒否する積極的な理由も見つからなかった。
シーザーはすぐさま扉に向かい、ノブを捻った。
そこで振り返り、彼は厳しい顔をする。
「寝てろよ」
「うん」
「うんじゃない。今すぐ布団被れ」
「……はい」
苦笑して横になった。
シーザーの顔が見えるように体を動かす。
目が合うと彼は微笑んで、部屋を出て行った。
横になってみると、枕に頭が吸い付いて離れなかった。
熱が下がり切らないのには、それなりに理由があるのだ。
再び目を閉じて、いろいろ考えた。
(風邪なんてひいてる暇は無いんだ。オレは炎の英雄。みんなを守らなきゃ、率いていかなきゃいけない。……オレが倒れてたら、みんなが迷う)
だから、ヒューゴの体調については誰にも知れてはならない。シーザーにはわかってしまったが、それ以上広まることは無いはずだ。シーザーも広まることをよしとしないと思う。英雄とは何かを教えたのは、他でもない彼なのだから。
シーザーにも、これ以上迷惑はかけられない。彼にもやらなければならないことがあり、ヒューゴに時間を割いた分は彼の睡眠を割くことで代用される。
思考が深い所に行き着いて、そうでありながら脳が眠りの態勢であることに気が付く。 シーザーがすぐに薬を持って来る。眠ってしまっては駄目だ。
するりと眠りの淵に入り込んでしまいそうになる意識を何度か引き止め、そしてやっとシーザーが戻った。
音の刺激で意識がはっきりとした。
「……眠ってるのか?」
控え目に、抑えた声がかけられる。
返事を返して問い掛けを否定し、起き上がって枕と壁に背を預ける。
「起きなくてもいいぞ」
首を左右に振った。
シーザーが持つ盆には、薬の包みらしきものと、湯気をあげる器があった。
「……それは?」
「ああ。メイミから粥をもらってきた。これなら食えるだろ?」
きっと、胃に何かを入れないと薬が飲めないのだろう。
シーザーが差し出した盆を膝に乗せる。
半液状のものは、喉を抵抗無く通り抜けた。
「……この薬、苦い?」
粥を片付けて、次に薬という時になってそう言った。
「良薬、口に苦し」
シーザーは一拍も間を置かずに薬と水を突き出す。
それでもしばらく受け取るのを躊躇った。
シーザーの口の端が引き上がる。楽しそうな笑みに嫌なものを感じた。
「そんなに嫌なら、飲ましてやろうか?口移しで」
「いい!わかったよ、飲む」
グラスと薬包紙を受け取って、白い粉末状の薬を口に含む。
粉末の薬は溶けやすく、苦みがすぐに舌の上に広がる。さっさと水で流してしまうに限るのだ。
グラスを傾け、冷たい水を口に流し込む。苦い味を洗い流すように、グラスが空になってしまうまで嚥下を繰り返した。
「はい、よく飲めました」
シーザーが頭を撫でた。
子供扱いをされている心地だが、悪い気はしなかった。
柔らかな笑みを浮かべて、シーザーは言う。
「口開けて」
言われたように、大きく口を開いた。
シーザーがその中目掛けて何かを放り込み、驚いて口を閉じる。
舌の上に固く丸い感触を与えるそれは、甘かった。
「……飴?」
「薬を飲めたご褒美」
飴で大喜びするほど子供ではないのに、と言い返したかったが、何となくこの場の雰囲気を変えたくなくて、薄い微笑みを浮かべるに止どめた。
シーザーも微笑んでいたが、ふと切ない表情を作る。
「俺にぐらい、弱みを見せてもいいんだぞ?」
他人からはわからない程度に目を見開く。
当然、彼が何のことを言っているのかはわかっていた。
ヒューゴは炎の英雄。常に無欠でなければならない。シーザーに対しても、それは例外にはならない。
そう思っている。
けれど、その言葉をくれた事が
「……ありがとう」

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