天気の良い日だった。
風も心地良いので窓を開けておく。
目の前には書類の山。物資の補給報告、難民への物資支援申請、城の修繕費用決算、次の作戦の人員編成表及び陣形案、敵軍偵察の報告、その他諸々。
中には正軍師自ら手掛ける必要も無いのでは、と思えるものもあるが、炎の運び手は人員不足なのだから仕方無い。
一つ一つ目を通し、チェックのみで済むものはサインをして、時には修正を加える。 一枚書類を読み終わり、サインをする。ふぅ、と溜め息を吐いてサイン済みの書類の山の上にあるペーパーウェイトをどけた。
ちょうどその時、開いた窓から強い風が吹き込む。慌てて手で押さえたが、何枚かは逃れていってしまった。ヒラヒラと不規則に揺れて床に着くのをただ眺めるしかない。
小さく舌打ちをして、ペーパーウェイトを元に戻してから椅子を立った。
気怠い体を鞭打ち、書類を拾って戻ると、ドアがノックされる。
「どうぞ」
少し苛ついていて、刺のある声になった。
扉が開く気配がして、しかしシーザーは面を上げずに今拾い上げた書類をまとめて、また山に戻した。
「シーザー?どうかしたのか?」
聞き慣れた声が耳に入り、胸の霞のような苛立ちが消え去った。彼の声には浄化作用でもあるのかと、ふと思った。
顔を上げれば、心配そうな表情をしたヒューゴ。手には茶の道具一式を持っている。
「ヒューゴか」
自然、頬が緩む。
それを見て、ヒューゴも表情が柔らかくなった。
近くのサイドテーブルに、手に持った盆を置いた。ポット───おそらくは紅茶が入っている───に、湯をそそぎながらヒューゴは言葉を紡いだ。
「そろそろ休憩にするだろ?アップルさんからも許可もらって来たよ。頑張ってるから良いって」
「そうか。ありがとう」
椅子に座ったまま伸びをして、席を立った。ヒューゴが用意してくれた茶にありつくべく。
カップに注がれた赤銅色の液体が、しきりに湯気を上げている。茶請けの菓子もいくらか用意されていた。
甘いものはそれほど好かないが、茶請けとして欲しい程度には嫌いでない。
器の中には多様な菓子があり、その中の一つに手を伸ばす。
「飴か……」
紙に包まれた丸いものを指先につまんで眺め、弄んだ。
幼い頃、飴玉が大好きだった。飴玉自体が好きだったわけではないが、それに纏わる思い出が美しいものばかりなのだ。
今も、その思い出を愛しいと思う。

* * *

シーザーとアルベルトは年が離れていたから、常に兄は羨望の対象だった。
シーザーが七つになった頃には、アルベルトはハルモニアの大きな都市によく通っていたのを覚えている。何か、勉強のためなのだろうと思っていたが、実際の所は知らない。ガールフレンドでもいたのかもしれない。あの兄がガールフレンドのためにわざわざ遠出するとは考えにくいが。
「アルベルト、せっかく大きな街に行くんだから、お土産くらいくれてもいいだろ?」
ハルモニアから帰宅したアルベルトに向かって、挨拶を交わした後にそう言った。
アルベルトは、特に手土産も無く帰るのが常だった。両親は大人だし、何も期待していないようだが、シーザーは大いに期待している。
久し振りに会ったというのに、彼は大してシーザーに興味を持った様子は無い。
上着をクローゼットの中にしまいながら、アルベルトは答えた。
「そんなものが欲しいのか」
「だって……」
口ごもると、アルベルトは溜め息を吐いてクローゼットの扉を閉めた。
シーザーの向かいにあるソファーに腰掛け、長い脚を組む。
「必要無いものだろう」
「……」
言い返せずに黙り込んだ。
「じゃあ、何か話してくれよ」
「話して楽しいことをしに行っているわけではないのでな」
「……わかったよ!もういいよっ!」
感情的なものの無い言葉に腹が立ち、勢い良く立ち上がった。
シーザーは年の離れた、あまり言葉を交わすこともできない優秀な兄に憧れていて、だからただ構ってもらいたいだけなのだ。
それは彼もわかっているはずなのだ。シーザーも、その感情を隠さずに前面に表しているから。
それでもあんな態度をとる兄に腹が立つ。
自室に戻り、ベッドに乱暴に身を投げ出した。
アルベルトは、シーザーを嫌っているのだろうか。いや、彼は誰にでもああいう態度だ。
世渡り上手だから、あそこまで刺のある言い方は他人や、目上の人間にはしないが。
もっと昔は、それなりに可愛がってくれていたと記憶している。
身体を捻って、枕に顔を埋めた。

* * *

数日後、アルベルトはまた遠くに出かけることになった。
喧嘩は日常茶飯事で、小さく揉めては次に顔を合わせる時には元どおり。シーザーが一方的に腹を立てることがほとんどであるから、シーザーの機嫌が直ればそれで終わりなのだった。
今度の喧嘩も、その日の夕食の時には落ち着いていた。
見送りに、玄関に出る。
「……行ってらっしゃい」
「行って来る」
短く言葉を交わして、アルベルトは馬車に乗り込んだ。
御者が馬に鞭をいれ、馬車が動き出す。
だんだんと小さくなるそれを、見えなくなるまで見送った。
今度の旅はそれ程長くなく、一月もすれば帰ってくるということだ。兄の口からではなく、母から聞いたことだが。

* * *

母の言った通り、ちょうど一月で兄は帰って来た。
数日前から、シーザーは窓の外を眺めていることが多くなっていた。兄の乗った馬車が見えはしないかと。
帰って来た時にも、外を見ていた。遠くに馬車が見えて、急いで門に向かう。
無駄に大きな正面扉を乱暴に開け、その時馬車は門をくぐるところだった。
「アルベルト!」
ゆっくりと速度を落とす馬車に駆け寄り、中に向かって叫んだ。
重苦しい音を立てて馬車は止まり、中から背の高い青年が現れる。自分のものとは異なる赤の色をした髪の彼に、シーザーは駆け寄った。
「おかえり!」
「……今帰った」
変わらず冷静な態度。
冷徹にも見える視線は、彼の本来を表せていないことをシーザーは知っている。
アルベルトは、片手に提げた大きめの鞄の中から小さな包みを取り出した。それをシーザーに突き出す。
「なんだ、これ?」
「土産だ」
しばしの間、自分よりもずっと上にある兄の双眸を呆然と見つめる。
すぐに笑顔が零れ、礼を述べた。
アルベルトは無視して扉に向かって行く。
兄の趣味ではないだろう、綺麗な包みを開くと、色とりどりの飴玉が出て来た。
一つを口に含む。甘ったるい味が舌の上に広がっていく。甘いものが好きなわけではないが、微笑みを禁じ得なかった。
「アルベルトー!!これ、うまい!」
ドアノブに手をかけていた彼は一瞬動きを止めたかのように見えたが、そのまま中に入って行ってしまった。
それからというもの、アルベルトは出かける度に飴玉を土産に買って来た。
幼い子は甘いものが好きだという単純な考えだったのだろう。実際シーザーが喜んだから、そのまま同じ物を。
毎回少しずつ趣向が異なるのがおかしかった。
シーザーが成長してもそれは変わらず、いい加減に変えたらどうなんだと密かに苦笑したのだった。
アルベルトは、シーザーに興味が無いのだと思っていた。シーザーに限らず、全てに。だから言葉に感情がこもらないのだと。
冷たい人間だとは思っていない。人の心の機微にはよく気の付く男だと思う。
彼の言葉が冷たい印象を与えるのは、己の内を見せようとしないからだ。
年月が経ち、シーザーと思想が対立することになったが、シーザーの中で兄に対する感情は変わりないし、それはアルベルトも同じだろう。
勢い、兄弟の縁を切ってしまい、兄を前にすると頭に血が上るが、我ながら子供のようだと思う。
アルベルトの戦に対する考え方に同調できることは決して無いだろうが、軍師として尊敬に値する能力を持っていると思っているし、兄としても嫌いではない。
最後にもらった飴は、一体何味だったかな、と記憶を探った。
もはや彼と共有する記憶は、思い出となって薄れかけていた。

* * *

「シーザー?」
ヒューゴが首を傾けてシーザーを覗き込んでいた。
不意に綺麗な目に見つめられて、どぎまぎする。
それを見せないように、笑顔で隠した。
「何か考え事?」
「ああ……何でもねえよ」
適当に誤魔化したが、ヒューゴは特に咎めはしなかった。
小さな音を立てて、シーザーは席を立った。ヒューゴは目で追える範囲まで追って、視界からシーザーが消えるとそのまま首を回さずに正面を見ていた。
ヒューゴの背後に回り、肩から覆い被さる。首に顔を埋め、大きく息を吸って吐いた。
ヒューゴの香りで満たされる。
「シ、シーザー?!」
「ヒューゴ、俺たちの記憶は、思い出にはならないよな」
驚くヒューゴに構わず、自分の話を進める。
ヒューゴはシーザーの突然の行動に戸惑い、質問に混乱したようだが、しばしの沈黙の後に返事があった。
「……うん」
言葉での確認は無意味だと知っている。
兄との関係も、永遠だと信じて疑わなかった。
けれど、永遠を信じたくなるのは、この一瞬が幸せだから。今幸せなら、永遠に幸せな予感がする。
手に握り込んだ飴玉の包みを開き、丸い玉を摘みあげる。
ヒューゴの唇に押し付けると、彼はすぐに受け入れた。
口に含んだのを確認して、顎を引き寄せた。こちらを向いた口に、シーザーは己の唇を重ねる。
ヒューゴは嫌がる素振りを見せず、シーザーの片頬に手を添えた。舌で歯列をなぞると、自ら迎え入れる。
中を探って飴玉を探り当てた。ヒューゴの舌も飴玉を追い、二人で共有した。
甘ったるい味が舌を絡めとる。
兄がくれた、どんな飴玉とも違う甘い味がした。

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