男は、夜になっても、馬を走らせ続けた。
何日もかかる道程を、2日で到着するつもりだった。
早く、着きたかった。
行く先に、火が見えた。
松明の火だ。
こんな時間に松明を焚いている好ましい相手に、これまで会ったことがなかった。
あちらも馬に乗って、こっちに向かって来ているようだ。
すぐに顔が見える程の距離に近付く。
迂回して避けなかったのは、あの距離だとあちらも彼に気付いているだろうし、逃げようにも彼の馬には、もうそんな体力は残っていない。
「へへ…金目の物は置いて行ってもらおうか。そうすれば命はとらねぇよ」
男達の中の一人が彼に話しかけた。
彼は、腰の長剣を抜いた。
「お!やんのかあ?」
男達が、一斉に身構える。
彼は、剣を構えると、馬を走らせた。
今は黒いマントを着て、フードを被っているので、さながら、黒い疾風だった。
彼が通った後には、馬から落ちた男達が転がっている。
彼の剣には、一滴の血もついていなかった。
彼は、その場を離れ、しばらく進むと、岩場で野営をした。
眠らずに走り続けたかったが、馬ももう限界だろう。
火を見つめながら、彼は思い起こした。
以前は、ただ護られるだけだったことを。

* * *

「…っ!」
ヒューゴは、傷を負いながらも、敵に最後のとどめをさした。
「ほら、もう大丈夫だよ」
傷口に薬を塗りながら、ヒューゴは草むらに声をかけた。
草むらから、情けない顔をしたシーザーが出て来た。
「……」
「なに不貞腐れてるんだよ?」
「俺…いっつも護ってもらってばっかだよな…」
「しょうがないだろ。シーザーは頭脳労働してるんだから。それに、頭も使えて自分で戦えるんじゃ、オレ達の立つ瀬がないよ」
シーザーは、まだむくれている。
「…俺は、いつもお前を護りたいんだ…」
「たまには、オレに護らせてくれてもいいだろ?」
それでも、シーザーは釈然としない顔をしている。
「ほら、行こ?皆のところに戻らなきゃ」
シーザーは無言で歩き出した。
シーザーとヒューゴは、今、草原のど真ん中に居る。
数人と来ていたのだが、モンスターに囲まれ、戦っているうちにはぐれてしまった。
草原だから、探せばすぐに見つかるだろうが、それよりも村に帰った方が得策だろう。
「…ヒューゴ」
しばらく歩いていると、シーザーが突然話しだした。
「俺に、武術を教えてくれないか?」
「シーザ…」
「お前を護りたいってだけじゃない。これじゃあ一人で出歩くこともできない。それに、カラヤにいるなら、戦士としてあるべきじゃないか?」
「シーザーは軍師として…」
「これまで、カラヤには自分の身も護れない軍師がいたのか?」
「………でも…」
「一人前の戦士にしてくれとは言わない。せめて、足手まといになりたくないんだ」
「………」

* * *

男は、ただ走り続けた。
早く、早く…。
それしか考えていなかった。
矢羽という名の少年。
…いや、今はもう少年ではない。少年なのは外見だけ。
彼は、矢羽という名の通り、いつだって、戦場に突っ込んで行っていた。
いくら成長したと言っても、あの生来の性格だけは治らなかった。
もっと、きちんと教えておきたかった。
将は、前線で戦ってはならないと…。
あの時までに。
彼が、「矢羽」と離れてしまうまでに…。

* * *

「シーザー、あの少年といつまでも一緒にいることが、本当に為になると思うのか?」
「…何が言いたい」
「お前が死んだら、あの少年はどうなるのかと言っている」
「………」
「そろそろ、家に帰ったらどうだ?」
シーザーは、兄の顔を見た。
「俺は…あいつを守るって決めたんだ」
「それが、本当によいことなのか、よく考えるんだな」
アルベルトは、そう言ってどこかに行ってしまった。
今の言葉は、本当に、兄としての言葉だったと思う。
シーザーは、その場に立ち尽くし、拳を握り締めた。

* * *

「なんでだよ?!シーザー!ずっと…ずっと一緒だって言っただろ?!」
ヒューゴが泣き叫んで、シーザーに追いすがろうとする。
それを、カラヤの人々が必死で押さえた。
「…なせ…よ…っ!シーザー!シーザー!」
「言ったはずだ。俺達の力ではどうしようもないことだって、あるんだ」
ヒューゴは、動きを止めた。
「…あの時、もうこうするって、決めてたのか…?」
「………」
ヒューゴは、自分を押さえる手を振り払い、後ろを向いた。
「…行けよ」
「ヒューゴ…」
「行けったら!オレが、オレを抑えていられるうちに!オレは、今お前を殴りたくて仕方ないんだ!」
「ヒューゴ」
先程より、少し強い声でヒューゴを呼ぶ。
「…今更、なんだよ。いくらオレが呼んでも、振り向いてくれなかったくせに…」
「ヒューゴ、こっち向け」
「だから、なんだよ…っ…?!」
長い、長い口付け。
ヒューゴは、最初戸惑うように腕を垂らしていたが、シーザーが自分の首に回させると、きつく抱き付いた。
「…こうも言っただろ?離れても、俺は永遠にお前を愛し続ける」
唇を離すと、シーザーはそう囁いた。
ヒューゴはまた涙をこぼして、シーザーを放した。
シーザーは、迎えの馬車に乗り込んだ。

* * *

それから、家に帰って、親が勧めるままに、好きでもない女と結婚して、跡継ぎを求められたから、つくった。
本来なら、長男である兄の子が跡継ぎとなるはずだったが、兄は結婚していなかった。
あのルックスなら、嫁候補など掃いて捨てるほどいただろうに。
結婚したくないから、シーザーに家に戻るように勧めたのかとも思ったが、あの言葉だけは、信じられると思った。
妻となった女は、容姿は美しく、家柄もよく、優しい性格だった。
愛してやれなかったことが、申し訳なかった。
それなりに、幸せと言える生活だっただろう。
そう感じたことは一度もなかったけれど。

* * *

男は、ただひたすら走った。
早く早く早く…。
ただそれだけを考えた。
最近、戦のあった草原は、荒れていた。
馬は疲れている上にこの地盤だ。
可哀相だが、あと少しだけがんばってもらわなければ。
どうか、間に合ってくれ。
遠くに、煙が見えた。
生活の煙だ。
もうすぐ…。
だんだんと煙が近くなる。
建物が見え始めた。
人々の生活の音が聞こえる。
懐かしい村の入口に、やっと辿り着く。
村の入口で馬から降りた。
近くに手綱を縛り、中に入る。
「待て!お前、何者だ?!」
見張りだろう。ずいぶんかわいらしい少女だ。
彼の以前の仲間の一人の、この村出身の少女を思い出した。
弓を構えて、数人で彼を取り囲んでいる。
こんな包囲など、今の彼には突破することなど簡単なことだったが、別に侵入したいわけではない。
「何事だ?」
奥から、15歳程度の少年が現れた。
「族長!こいつが侵入しようと…」
「あぁ…いいよ。彼は客人だ」
「え…?」
「オレの古い…友人だ」
もう、族長になったのか。
彼は、そんなことを考えていた。
少女は、族長の言葉に従って、さがった。
「来いよ」
少年は、彼を手招きした。
奥の、彼の家へと誘う。
中に入ると、そこは、何も変わっていなかった。
「いつまでそんなもの被ってるんだ?シーザー」
彼は、フードを脱いだ。
「久しぶりだな」
シーザーがとりあえず挨拶をする。
ヒューゴはふっと微笑って言った。
「…今度こそ、本当にオヤジになったな」
「…お前こそ、目が鋭くなった」
ヒューゴは、くくっと笑った。
「…で?何しに来た?」
「お前に会いにきちゃいけないのか?」
ヒューゴは、また、ふっと微笑った。
「今更?」
「今だからだ。行くぞ」
「なっ…?」
シーザーは、ヒューゴの手を引いて外に出た。
「フーバー!」
シーザーの呼び掛けに答えて、フーバーが二人の前に舞い降りる。
「お前、まだ俺達を乗せて飛べるか?」
「キュイイィン!」
「よし。乗れ」
「ど…どこ行くんだよ?」
シーザーは答えずに、フーバーを飛び立たせる。
「フーバー、あそこに」
シーザーのその一言でフーバーは了解したようで、迷わず飛び続ける。
もう、日が傾き始めている。
「シーザー、一体どこに…」
「楽しみは後にとっておくもんだ」
ヒューゴは、それきり黙った。
ずっと飛び続け、着いた場所は…。
「ここは…」
「懐かしいだろ?俺達が約束した場所」
そこは、蛍が飛び交う川だった。
「…こんな所にきて、どうしようって言うんだ?」
「別に」
「別に…って」
ヒューゴは鋭い目を、少し和ませた。
「もう、二度と会わないつもりだったんだがな」
「じゃあ、なんで?」
「お前に、一つ言いたいことがある」
ヒューゴは、また鋭い視線でシーザーを見つめる。
「お前、まだ前線で戦ってるだろ」
「それが?」
「将はそんなところに居ては駄目だ。お前は、安全な所で偉そうにしていればいい。前にも言っただろう?」
ヒューゴは、口の端を持ち上げた。
「それは、軍師としての言葉か?」
「俺個人としてでも、どちらでも好きに思えばいい」
「…言いたいことはそれだけか?」
「あと一つ」
シーザーは、ヒューゴに向き直った。
「お前、いつまでそんなもの被っているんだ?」
ヒューゴは、面食らった様に目を見開いた。
「何を…」
「族長の仮面なんて、今は必要ないだろ?」
ヒューゴは、目を見開いたまま、シーザーを見つめていたが、その双眸から涙が溢れ出した。
涙が頬を伝うと、ヒューゴは顔を歪め、シーザーに抱き付いた。
「うわあああぁぁ!」
「ヒューゴ、ごめんな」
「あぁっ…う…ああぁ!シー…ザあぁ!」
ヒューゴは、シーザーにしがみついて、ひたすら泣き続けている。
今まで、我慢してきた涙を全て出し尽くすように。
「う…っ…ひっ…」
だいぶヒューゴが落ち着くと、シーザーはヒューゴを自分の体から少し離し、顎に指をからめた。
そして顔を近付け、訊いた。
「オヤジじゃ、嫌か?」
ヒューゴは、静かに目を閉じた。
その唇に、シーザーはそっと自分の唇を重ねた。

* * *

─翌日─
「ねぇ、族長、まるで別人じゃないか」
「うん。今まで見たことないくらい…こう…かわいい…よね」
ヒューゴの家の中を覗いて、そんな話をしているのは、シーザーを出迎えたあの少女と、その弟だ。
「いっつもかっこよくて、目なんかも、こうシャキンッ!て音がしそうだし、剣もすっごい強くて、馬に乗らせたら誰も勝てなくて、フーバーに乗って二人で戦ってる時なんか…」
「姉ちゃん…姉ちゃんがどれだけ族長を好きかはよくわかってるよ…」
弟は、いつも姉のこんな話を聞いて、飽いているようだ。
弟が止めると、少女は顔を真っ赤にした。
「なっ…好きだなんて!私は族長がどれだけ素晴らしいお方かをだなぁ!」
「わかったわかった…。とにかく、今の族長はいつもと全く逆だよね」
弟は、またなんとか姉を治めて、話を戻した。
「うん…。あの人が村に来たばっかの時には、族長はいつもと変わらなかったのに、夕方出かけて、帰ったらあれだ」
「族長にあんな顔をさせるなんて、あの赤毛の人、一体…」
「あの人は、ヒューゴにとって、特別なのさ」
「「か、母ちゃん?!」」
突然後ろに現れた母親に驚いて、二人の少女と少年は飛び上がった。
「ほら、例の戦の時。あの時に、最も近くでヒューゴを支えたのがあの人だ」
「戦…って、母ちゃんが16の時の?」
母親…アイラはうなずいた。
「公私共に、最も近しい存在だった」
「でも母ちゃん、それが族長があの人と居るとかわいくなるのと、どう関係があるの?」
「…大人になればわかる」
アイラは、子供達の頭を優しく撫でた。
「それよりお前達、覗き見なんて趣味が悪いな。族長が気付いてないとでも思ってるのか?」
「え?ウソ?!わあ!ごめんなさ〜い!」
「あ、姉ちゃん、待ってよ〜!」
「…まったく…」
子供達が行ってしまうと、アイラもチラッと中の様子を見て、立ち去った。

* * *

「…シーザー、なに笑ってるんだ?」
「い、いや…別に」
ヒューゴが目を細めて訊くと、シーザーは必死に笑いをこらえた。
外での会話はまる聞こえだった。
ヒューゴが最初に会った時よりもかわいくなったとは思っていたが、子供にまでわかるほど劇的な変化だったとは…。
「お前も、まだまだだな」
「な、何がだよ?!」
「感情を表に出し過ぎだ」
ヒューゴは、思い当たる節があるのか、黙り込んだ。
そして、また顔をあげると族長の顔になっていた。
「で、お前、なんで喪服なんだ?」
「いや…俺の前ぐらい普通でいいんだが…」
「…注文の多い奴だな…。それで?」
さっきよりは幾分か目を和ませて、ヒューゴはシーザーに聞き直した。
「これは…俺の為の喪服だ」
「……?」
「以前の俺は死んだ。それに対する喪服だ」
「死んだ…?」
ヒューゴが訝しげに尋ねる。
「俺は…この村を出てから、また戻って来るまでの俺は、死んだんだ」
「それは、つまり…」
ヒューゴは、だんだんと族長の顔から、昔のヒューゴへと、変わっていった。
「俺は、ここに戻ることに決めた」
ヒューゴは突然の出来ごとに、声も出ない様子だ。
「だって…昨日はそんなこと一言も…」
「楽しみは後にとっておくものだろ?」
ヒューゴは目を潤ませたが、隠すように俯いてしまった。
シーザーが近寄って肩を抱くと、ヒューゴはシーザーの胸を叩いた。
「バカ!そういう事は早く言えよぉ!」
「わかったわかった。以後気を付けますよ」
シーザーはまるでそんな気はなさそうに言った。
「…なぁヒューゴ、俺はいつか死んでも、お前は俺のことを忘れないでくれよ」
「シーザー、俺に、シーザーがいない世界で生き続けろって言うの?」
シーザーは、不敵な笑いをうかべた。
「そう簡単に、死なせるかよ。俺の思い出を、そう簡単にこの世から消してたまるかよ。思い出を知ってるのは、お前だけなんだからな」
未来永劫、決して楽にはさせない。
自分がこの世に在ったという、確たる証拠を残すために。
「意地悪…はっきり言えばいいじゃないか。オレを、生き残らせる為だって」
「じゃあ、はっきり言おうか?ヒューゴ、俺が死んでも、後を追ったりするんじゃないぞ」
ヒューゴは、シーザーを見上げて見つめるが、うなずこうとしなかった。
「お前がいなくなったら、誰が俺の墓に花を供えるんだ?」
「でも、シーザー!嫌だよ!オレは、シーザーがいない世界で、たった一人で生きるなんて、絶対嫌だ!」
ヒューゴは、シーザーの胸で泣き始めた。

* * *

「まったく…赤ん坊じゃねぇんだから…」
外に出ると、シーザーはそう呟いた。
ヒューゴは、泣き疲れて眠ってしまった。
40を越えて、泣き疲れて眠る男など、聞いたことがない。
「いいのか?」
アイラがシーザーに声をかける。
「20年考えて、やっと答えがでたんだ。やっぱり、あいつは俺が守るしかない」
「…そうか。しかし、お前が死んだら…」
「聞いてただろ?死んだら、ヒューゴには俺の墓に花を毎日供えてもらうさ。それに、一生会わないのと、死ぬのと、どう違う?」
「…確かに」
「それなら、少しでも長く一緒に居られる方がいいだろ?」
アイラはふっと笑って立ち去った。
どこからやって来たのか、蛍が一匹、夜空に舞い上がった。

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