「あなた、そろそろ行かなきゃ」
「あぁ……」
漆黒の喪服に身を包んだ、見事な赤毛の人物が、妻に促されて椅子から立ち上がった。
妻は見事な黄金の髪。
それを見ると、ふと思いだす。
……今日、これから向かう場所のせいもあるだろう。
生涯で、たった一人愛した人。

* * *

ヒューゴ……カラヤの古い言葉で、矢羽という意味だと教えてくれたのは、いつだったか。
その名の通り、いつも戦場では矢の様に突っ込んで行っていた。
シーザーは、それがいつ彼の命を奪うか、心配でならなくて、戦場に出ることを禁じたこともあった。
そんなことで、あの少年を縛れるわけもなかったが……。
あの、戦いが終わって、ヒューゴはカラヤに、シーザーは以前から続けていた旅に出た。
しかし、カラヤが落ち着いたら、何年かしたら、ヒューゴの側に戻るつもりだった。
ヒューゴの隣には、自分しか居るべきではないと知っていたから。
実際、戻った。
そうして、以前の様に、共に時を過ごした。
「シーザー、何してんの?」
「見りゃわかんだろ?釣りだよ。釣り!」
「そんな面倒なことしなくても、これでいいじゃないか」
ヒューゴは、そう言って、手に持った武器を示した。
銛の様な道具だが、どこかカラヤらしい工夫が施されている。
「わかってないなあ……。釣りは魚を釣ることも面白いけど、待ってる時間がいいんだろ?」
「…………?」
ヒューゴは訝しげに首をかしげる。
「……俺も親父に教わった時はわかんなかったからなあ……。俺がオヤジになったってことか」
「シーザー、オヤジになるの早くない?」
「そうだよなあ……。俺はまだ20代だぞ?釣りの醍醐味を悟るには早すぎるよなあ……」
そうしみじみと語る姿が、またオヤジくさかった。
「ぷっ……ぁはははは!」
「な……なんだよ?!」
「あは……っは……だっ……て、早すぎるよなって言ってるのが……また……っくく……オヤジくさ……っ……」
「はあぁ?!お前、俺が本当にオヤジになったって言いたいのか?!」
「や……ちが……っはは……」
「……わかったよ。もういいよ。俺はオヤジだよ」
シーザーは唇をとがらせて、また釣りに興じる。
ヒューゴは、それをしょうがないな、という顔で見ると、隣に座った。
「24にもなってそんな顔してる人を、大人とは呼べないよ」

* * *

赤毛の男は、外に出、馬を引いて門に向かった。
「あなた、馬で行く気?」
「そのつもりだが?」
「服が汚れるわよ?馬車で行ったら?」
「服ぐらいいいさ。それに、今日は草原の風を感じたいんだ」
男は、どこか遠くを見るような目で言った。
「……そう。いってらっしゃい。気をつけて」
妻に見送られ、男は馬を走らせた。
彼が住んでいるのは、町から少し離れた、草原の真ん中。
町から遠いわけでもないし、不便ではなかった。
草原を吹き抜ける風が心地よくて、彼はこの家を気にいっていた。
馬を走らせながら、彼は考えた。
自分も、馬を操るのが上手くなった。あの頃のあいつに、追いついたか?

* * *

ヒューゴの後ろで、シーザーは必死でしがみついていた。
「シーザー、大丈夫?」
「だい……じょうぶ……」
「カラヤ馬は、ゼクセンの馬とはちょっと走り方が違うからな」
カラヤ馬は、ゼクセン等で一般的に乗られている馬よりも、少し高く、跳ねるように、鹿に似た走り方をする。
シーザーも普通の馬ぐらいなら乗れるが、カラヤ馬は別だ。
カラヤで一番の馬の乗り手と言われるヒューゴに、後ろに乗せてもらい、どれぐらい違うのか試してみようと思ったのだが……。
「ほら、村が見えてきた。もう少しだから」
「う〜……」
情けないことに、お尻が痛くなってしまった。
「並足にしようか?」
「いい!駆け足のまんまで帰ろう!」
「意地張っちゃって……。後で立てなくなっても知らないよ?」
「大丈夫だっ!」
ヒューゴはふぅ……と溜め息をつくと、スピードを緩めずにそのまま走らせ続けた。
「っててて……」
「ほら、言っただろ?大丈夫?」
シーザーはやはり歩けなくなり、ヒューゴの家で休んでいる。
ヒューゴは側に座って心配そうに眉を寄せている。
「湿布とかもらってこようか?」
「い、いらねぇ……」
「また意地張って……」
意地を張りたくもなる。湿布を貼ってもらうとなると、当然ヒューゴが貼ってくれるのだろう。お尻に。
それは余りに情けなさすぎる。
「カラヤ馬はシーザーには無理だね」
「くっそおぉ……!いつか乗りこなしてやる……」
「やめときなって。乗りこなせるようになるまでに、何度こうなるんだよ?」
「いってえぇ!」
ヒューゴはシーザーのお尻を軽く叩いた。
「ヒューゴぉ……」
シーザーは涙目になってヒューゴを見た。
「……ね?もうこうなりたくないでしょ?他の馬で頑張りなよ」
「……じゃあ、いつか他の馬でお前以上の乗り手になってやる……」
ヒューゴは困ったように笑った。

* * *

男は、一日中馬で草原を駆け抜けた。
馬の上で感じる草原の風もいいが、空高くを飛んでいる時の風は、最高だった。
あれは、あいつと一緒だったからか?
そんなことを考えていると、素晴らしい夕陽に気付いた。
初めて空の風を知った日も、確かこんな夕陽を見た。いや、あの夕陽が綺麗に見えたのも、あいつといたからか?

* * *

「シーザー、フーバーに乗ってみないか?」
昼食をとっている時に、急に言われて、シーザーはしばらく停止した。
今日の昼食はルースの手製だ。
「な、何を急に……」
「乗ってみたいかな?って」
「お前以外乗せないだろ?」
以前、エースがこっそり乗ろうとして振り落とされていた。
「シーザーなら、オレが一緒に乗れば大丈夫だと思うよ」
「思う……ね。二人も乗って、大丈夫なのか?」
「フーバー力持ちだから、きっと大丈夫だよ!」
「きっと……」
どれも確証がないようで、不安要素は大量だ。
「いや?」
キラキラと星を浮かべた瞳で上目遣いでみつめられては、いやとは言えない。
「……行こう」
ヒューゴは、シーザーのその一言で顔を輝かせた。
「それじゃあ、早く食べて!」
「へ……?」
「でかけるなら、早く行きたいだろ?」
また上目遣いで見つめながら言う。
(こいつ、俺の操り方覚えたな……!)
「……わかったよ」
ヒューゴの作戦にまんまとひっかかっているのはわかっていたが、シーザーには従う以外の選択肢はなかった。
「フーバー!おいで〜!」
食事を終えて、外に出ると、早速ヒューゴはフーバーを呼んだ。
「キュイイィン!」
すぐに元気な声が聞こえて、バサバサという羽音と共にフーバーが来た。
「フーバー!元気だったか?」
「キュウゥ……」
食事の前にもこうして抱き付いていたのに、元気か?とまたきく。
自分にも会う度にこれぐらいして欲しいものだ。などと、シーザーは獣にヤキモチをやいた。
「ほら、シーザー!」
いつの間に乗ったのか、ヒューゴはもうフーバーの上にいた。
シーザーはヒューゴの後ろに乗った。
「フーバー、シーザーは乗ってもいいだろ?」
「キュイ」
おそらく承諾の意味なのだろう。ヒューゴはフーバーの返事に嬉しそうに微笑んだ。
「シーザー、ちゃんと掴まっててね。じゃあ、フーバー、飛んで」
ヒューゴが声をかけると、フーバーは地を蹴った。
地面がどんどん遠くなっていく。
「高いなぁ……」
「怖い?」
「まさか」
ヒューゴが笑いを含んだ声で訊くと、シーザーはさも当然のごとく答えた。
「フーバー、行くとこは任せるから」
「キュオン」
フーバーは、どこに向かうつもりなのか、更にスピードを上げた。
「気持ちいいだろ?シーザー」
「本当にな……。お前はいつもこの風を独り占めしてたわけか」
くくっ……と笑いながらシーザーは言った。
ヒューゴは、ちょっとバツが悪そうに笑いながら振り向いた。
「でも、これからは、いつもシーザーと来る。……シーザーと感じた方が気持ちいい」
「ヒューゴ……」
絡み合う視線と視線。
近付く唇と唇。
「キュイイィン!」
フーバーの声と共に、衝撃。
シーザーはガクッとうなだれた。
「あ……着いたみたいだね」
ヒューゴは、顔を赤くして降りて行ってしまった。
「あとちょっとだったのに……」
「シーザー?」
「今行く!」
ヒューゴに呼ばれて、シーザーもフーバーから降りた。
そこは、河原だった。
川の水は澄んでいて、光が反射してキラキラと輝いて、とても美しい光景だった。
「シーザー!ほら、魚!」
ヒューゴは川に入り込み、無邪気に遊んでいる。
シーザーは川岸に座る。
「22にもなって魚と戯れるとはね……」
「何か言った?!」
「いやいや」
ヒューゴがギロッと睨んだので、慌てて否定した。
それでも、シーザーに指摘されて恥ずかしくなったのか、ヒューゴは川から上がって来て、シーザーの隣に座った。
「……お前、本当に変わってないな。見た目も、中身も」
「……オレがガキだって言いたいの?」
「違うよ。お前は、そのままでいいんだ。変わらないでくれ」
「……うん」
ヒューゴはシーザーの肩に頭をもたれかけさせた。
「オレ達も、ずっとこのまんまだよね」
「あぁ」
「シーザー……」
「ヒューゴ……」
ヒューゴは、シーザーを見つめ、シーザーはヒューゴを見つめた。
ヒューゴの目が閉じられ、シーザーは顎に指を絡ませた。
「キュイイィン!!」
シーザーは、またガクッとうなだれた。
「あ……フーバーが呼んでる!」
ヒューゴは走って行ってしまった。
(あいつは俺を邪魔してるのか?!)
「シーザー!どうしたの?」
「今……行く!」
シーザーもフーバーのところに向かった。
「他に行くところがあるみたい。ほら、乗って」
シーザーは、またヒューゴの後ろにまたがった。
フーバーが飛び立つ。
もう出発してからだいぶ時間が経ったようで、太陽が低くなり始めていた。
「結構時間経ったんだな」
「そうだね。全然そんな感じしなかったけど。……フーバー、次はどこに行くつもりなんだろう?」
「さあなぁ……。にしても、フーバーは賢いな。お前の言うこと全部わかってるみたいだし」
「長い間付き合ってるっていうのもあるんだろうけどね。でもフーバーは本当に賢いよ」
それから、他愛もない話を続けた。
気付けば、もう太陽は傾いて、夕陽になっていた。
フーバーは、木の生えていない山の頂上に降り立った。
「すご〜い!こんな夕陽初めて見た!」
「俺も……こんなに赤くて、綺麗なのは初めて見た……」
「フーバーよくわかったね。今日夕陽が綺麗になるって」
フーバーはヒューゴに頭を擦り付けた。
「こ、こら!くすぐったいよ!」
ヒューゴがフーバーを撫でながら言った。
「……シーザーの髪の色みたいだね」
「俺はこんなに綺麗な色じゃないぞ」
「綺麗だよ。オレは、シーザーの髪の色、すごく、好きだよ」
「ヒューゴ……」
ヒューゴが、静かに目を閉じる。
シーザーはゆっくりと顔を近付けた。
……と、突然、腕の中からヒューゴが消えた。
勢い余って、シーザーは前につんのめる。
「フ、フーバー?どうしたの?」
「キュイッ」
「まだ行くところがあるの?」
(こんのケダモノめえ……!)
「あの……シーザー、まだ行くところがあるみたい……」
「……わかった」
シーザーはもう一度フーバーにまたがった。
フーバーは飛び立つと、今までとは比べ物にならない速さで飛び始めた。
「フーバー!そんなに急いでどこ行くんだよ?」
フーバーは答えない。
フーバーが向かっている場所など、ヒューゴやシーザーには見当もつかなかった。
しばらくすると、河原に着いた。
「ここ、さっきのところじゃないか。フーバー、ここに何が……」
フーバーは、川岸に座り込んだ。
「ここで待てってことらしいな」
シーザーもヒューゴも、川岸に座った。
ずっと待っていると、どこからか、光が現れた。
小さく、はかない黄緑色の光だ。
「蛍……!」
ヒューゴは、目を輝かせてその小さな光を見つめる。
いつの間にか、蛍はそこら中に現れ、見渡す限り黄緑色の光の粒で埋め尽くされていた。
ヒューゴも蛍を見るのは初めてのようだが、シーザーも初めてだった。
思わずみとれていると、隣のフーバーが尾でシーザーをはたいてきた。
そちらを振り向くと、紫色の二つの瞳でじっと見てくる。
(今……いけってことか……?)
シーザーは、フーバーに笑いかけると、前を向いた。
「……なぁ、ヒューゴ」
ヒューゴがこちらを向いた気配がした。
「俺達、いつか離れてしまう時がくると思う」
「そんなこと……」
「俺達の気持ちだけじゃ、どうしようもないことだってあるんだ」
「………………」
ヒューゴが泣きそうな顔をしているのは、見ないでもわかった。
「けど、これだけは変わらない。俺が、ずっとお前を好きだってこと。愛してるってこと」
ヒューゴの顔を見ると、一瞬、目を見開いて、直後に嬉しそうに微笑って涙をこぼした。
「ヒューゴ……」
シーザーが少し顔を傾けながら近付くと、ヒューゴは目を閉じた。

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