それは突然、本当に唐突だった。
朝が来なかった。というのも、太陽が上らないのだ。
いつも起きる五時半に目覚ましが鳴って、重い体をベッドから引きずり下ろし、出かける支度をして、男がその異変に気が付いたのは家を出るときやっとだった。
いくら早朝とは言っても、太陽がこの時間に全く見えないのは不自然なことだった。
時間を間違えたのかと時計を見るが、間違っていない。
時計が狂ったのかと携帯で時報を聞くが間違っていない。
釈然としないが、会社に遅刻するので気に止めないことにして男は家を出た。
会社では、やはりこのおかしな状況の話がそこかしこで持ち上がっている。
しかし天文の専門家でもない彼らに真相の推測でさえもできるはずは無く、真剣な議論にまで発展することなくただの挨拶代わりの話題となっていた。
男も、その一人だ。
誰か情報を持っていないかと尋ね回るが、皆知らないのだ。
ネットニュースにも、原因等は書いていない。
「太陽と月、更には北極星であるポラリスの消失が、世界中から報告されている。原因は不明。」
そんな風な内容の記述を見つけて、太陽は消えてしまったこと、月と北極星まで無いことを知った。それだけだ。
しかし仕事に支障も無く、滞りなくいつも通り会社は活動していた。
夕方になると、男は帰る。
常識的な時間に毎回仕事を終えられるこの社に入社できたことを、男は幸福に思っていた。
空は結局、明るくならなかった。
夕飯の買い出しもあって、繁華街のデパ地下をうろつく。
気分が中華だったので、エビチリを少し。それから肉まんも食べたくなって、中華と言えば餃子。それら全てを買い求めた。
今日はちょっぴり贅沢だ。
餃子の匂いで周りの人の視線を痛く感じながら、男は帰ることにした。
そして電車に乗ろうとして、少年を見つけた。五、六歳程度の幼い子だ。
一人でいて、何やら心細そうにキョロキョロしている。
それで合点して、男は彼に近寄った。
「ねえぼく」
男が話しかけると、彼は自分よりずっと上にある男の目を見た。
男は少年と目の高さを合わせて屈んだ。
「どうしたの、名前は?」
「……たいち」
「太一君?何してるんだい」
「探してるんだ」
「お母さんかい」
ふるふると首を振る。
「キンウと、ギョクトを知らない?」
「キンウと、ギョクト……」
聞き慣れない名前だ。
彼の友達なのか、兄弟なのか、お気に入りの縫いぐるみの名前なのか、憧れている戦隊のメンバーなのか。
「それは、どういう人なのかな」
「キンウはキンウだし、ギョクトはギョクトだよ」
「服とか、髪とか、何か目立つものは無いのかい」
「キンウはね、キラキラしてとっても綺麗なんだ。ギョクトは、いつもキンウと一緒なんだ」
全く要領を得ない。
しかしまあ、この子をこのままにしておくわけにもいかない。
「じゃあ、一緒に探そうか」
「本当に!?」
「うん、いいよ」
太一はにこにこと笑った。
男の手を握り、ぐいぐいと引っ張る。
「どこにいるか知ってるの」
「知らない」
「じゃあちゃんとどこに行くか考えてから動かなきゃ。迷ってしまうよ」
「でも……」
「落ち着いて、焦らなくても見つかるよ」
ここは大人の方の、男がリードしなければならない。
深い考察と適格な判断と明快な決断を下さなければならない。
早速えーと、と考え始める。
「どこではぐれたのかな」
「わかんない。ギョクトがいなくなって、キンウがさがしに行って、両方いなくなっちゃった」
「そうか……」
しかし、彼がここにいるということはそのキンウとギョクトもまたこの町にいるのだろう。
「きみ、お母さんは」
「いないよ」
「一人なの」
「うん」
「そっか……。住所とか、電話番号はわかるかな」
「わかんない」
思わず溜め息を吐いた。
また少し考えて、とりあえず交番に向かう。
迷子は交番か案内所のお姉さんに。常識だ。
子供の手をしっかり握って歩き出す。手は小さくて少し湿っていた。
交番に向かう途中、近道だからと公園を通ることにした。
公園は、街灯に照らされて少し明るい。けれど少し不気味だ。そこだけ切り離された空間のようで、昼間賑やかなだけに誰もいないと怖い。
覚悟を決め腹に力を込めて、中に踏み込む。
踏み込んだその時、烏の嫌な声が響いた。神経が繊細になっていたので、飛び上がった。足も止まる。
見れば、光の当たらない所に黒い塊。動いているようで、それが烏の集団だとやっとわかった。
背筋が冷えた。
烏の群がる所には良くないものがある。
やはりやめようかと、引き返しかける。
「……キンウ」
太一が小さく呟いた。
男の手を振り払って、彼は黒い塊に向かって駆けていく。
「あ、太一くん!?危ないよ!」
彼は聞こうとしない。
アレには気味が悪いので近寄りたくないが、彼が烏につつかれでもしたら大変だ。追いかけた。
子供は案外足が早く、男が追いつけない。
太一は烏の群れの前で止まった。
「そこにいるのは、お前達の頭だぞ」
太一がそんなことを言うと、烏達は止まった。
驚いたことに、そのまま飛びさって行く。烏が太一を敵と判断してくれなくて良かった。安堵する。
そして、烏がいた所は真っ暗だったのに、なぜか今は少し明るいことに気が付く。太一の足下に光源があるようだ。
「太一くん!」
漸く追いつく。
彼はじっと地面を見つめている。
一体そこに何があるのかと、彼の背中ごしに前を見た。
「……なんだ、これ」
奇妙なモノがある。
黒い、さっきまでここにいた烏と同じようにも見えるが、違うのは、これは光っている。その光は強くなったり弱くなったり、明滅を繰り返す。どうやら生き物らしいが、その生き物は満身創痍だ。
そして、気付く。
足が三本あった。
倒れていた烏は起き上がり、少年を見上げると慌てたように跪く。頭を下げて地に付けた。
そうして烏は少年を見上げて、カァと小さく鳴いた。その声は、烏と同質であるが、烏の声の耳障りな部分を全て取り去ったらこんな感じになるだろうか。
美しい声だ。
「キンウ、大丈夫?」
「……申し訳ありません」
驚いたことに、三本足の烏は言葉を操った。
「どうしてお前の身分を教えてやらなかったの」
「私は彼らより上の立場になったことは一度もありません」
「お前はそういうやつだ……。でも理不尽に責められては」
「私が彼らのしきたりを知らなかったせいです。テイのお心遣い戴くのも勿体無い。テイ、そのようなことより、何故ここに」
「ギョクトは」
「テイがいらしてからは戻りましてございます」
「傷は」
「掠り傷でございます」
「よかった。ごめんね、僕が頼んだばかりに。ギョクトはお前の言う事しか聞かないから」
「テイからの直々のご命令、身に余る幸せでございます」
「ちゃんと飛べる?」
「ご心配には及びません」
烏は翼を広げ、また閉じ、その動作を太一に見せているようだ。
動きに合わせて、火の粉のような光の粒が零れ落ちる様が綺麗だ。
地面に降り積もったりはしないっかと思ったが、後には何も残さず消えた。
「ギョクトは仕方ないやつだね。でも責める気は無いんだよ。ギョクトのきもちはよくわかるんだ」
「はい」
「ぼくも、一度ここを見たかったんだ。ありがとう、お前達のお陰で来られたね」
「勿体のうございます。……テイ自らお出ましも、そういうことでございますか」
太一は頷く。
男は、ただただ彼らの会話を聞くしか無かった。
彼らの話すことには、世界の異変と関わる重大な秘密が隠されている気がするのだが、男にはわからない。
「さて、帰ろうか」
「はい。……その者は」
「あ、お兄さん、どうもありがとう。見つかったよ」
太一が振り返ってにこやかに言った。
男は、ただ頷くしか無かった。
「ホクトを呼んで参ります」
烏の言葉だ。
「いいよ。来る時もひとりだったんだもの」
「ですが……」
「これ以上ここを混乱させたらまずいでしょ?」
「……は、承知。では私にお掴まり下さい」
太一は微笑みを浮かべて、烏を振り返った。
「シビキュウにぼくを届ける暇があるのなら、戻った方がいいと思うのだけど」
「……左様で。では、先に戻っております。タイイツ、掛け替えのない御身だということをお忘れ無き様」
タイイツというのは、太一のことのようだ。
「うん、お前も、またチンピラに絡まれないようにね」
「そのような下の言葉をどこでお覚えか……」
「ほら、早く戻りなってば」
「……では、お暇致します」
烏は器用に一礼してそのまま数歩後退り、一度叩頭礼をした。それから大きく翼を広げ、地を蹴って飛び立ち、暗い空の彼方へ、光の軌跡を残しながら消えた。
「太一くん、きみは一体……」
「ぼくは、ぼくだよ。お兄さん、本当にありがとう。じゃあぼく、もう帰らなきゃ」
「あ、うん。気をつけて」
男はただ、どこかに歩み去る彼を見送るしか無かった。

* * *

いつもの時間に目覚ましが鳴って、重い体をベッドから引きずり下ろし、支度を始める。
テレビをまず付けるのが習慣だ。この時間はニュースしか無い。
朝食の支度をしながら、耳で情報を集めた。
「太陽も月も、北極星も、昨日午後八時頃、元に戻りました。原因は未だに不明で、調査中とのことです。はい、ここでおはよう学習帳〜!
今日は、今大注目の、太陽、月、北極星について学習してみましょう。
この星には、それぞれ別名があります。
太陽はキンウ、金のカラスと書くのですが、これはあのサッカー日本代表のユニフォームにもデザインされている三本足の烏、八咫烏のことです。昔から、太陽には烏がいるとされてきました。
それから月は、ギョクト呼ばれ、金烏と対になり、玉の兎と書きます。これは月にいる兎のことなんですね。兎とは言ってもあの餅つき兎ではありません。中国の昔話に登場する、かわいそうな兎です。
北極星は、中国の道教では天体におけるとても高位の神とされていて、タイチ、タイイツと呼び、太い一、あるいは太い乙と書きます。この神は太陽や月も統べるといいます。
太一は紫微宮に暮らしているとされ、そのため北極紫微大帝と呼ばれることもあります。
太一、つまり北極星は動けませんので、北斗七星がその乗り物とされるのだそうです」
男は、料理する手を止めて、ニュースに聞き入っていた。
実は、すごい人と会ってしまったのかもしれない。
ドキドキする。
神様に会ってしまったのだから、少しは加護とか、そんなものは無いだろうかと考えながら、男は食事の支度を続けた。

-------------

back

index

home

diary

novels
幻想水滸伝3
逆転裁判
その他

link