家に帰り着いて、上着を放ってソファに寝転がる。
深く溜め息を吐いた。今日は審理の準備に一日走り回り、疲れ果てた。まだ六時を過ぎたところだが、早くも瞼が重い。
目を閉じて倦怠に身を任せる。
そうしながらも頭では今日得た情報で考えをまとめていると、携帯電話が鳴り出した。聞き慣れたトノサマンの テーマだ。
発信者は、真宵だ。
「はい、どうしたの?」
「あ、もしもし。あのね、実は里に熊が出たとかで・・・」
「え!?大丈夫なの?」
「うん、今のところは。でも、はみちゃんが心配しちゃって」
「そりゃあそうだろうなぁ」
春美は真宵のこととなると少々過剰に神経質になるきらいがある。
「それで、その・・・里を追い出されて・・・」
「えぇ!?」
「はみちゃんが駅まで送ってくれて、なるほどくんの所に行けって」
話が読めた。
となると成歩堂の行動は決まっている。
「今どこ?」
「まだ、里の駅」
「じゃあこれからこっちの駅に迎えに行くから」
「い、いいのかなぁ」
「いいさ」
戸惑う様子の真宵を促す。
彼女も、当てが成歩堂しか思い浮かばなかったのだろう。
また後で、と会話を終わらせて電話を切り、成歩堂は上着を羽織る。夜になったばかりの町にまた繰り出した。
* * *
駅にはまだ真宵はいなかったが、すぐに到着した電車から現れる。
成歩堂を見付けて、軽く駆けて近寄って来た。
「ごめんね、なるほどくん。疲れてるのに」
「いいよ。里の方は大丈夫なのかい?」
「間違って山から出て来ちゃっただけみたいだから、大丈夫だよ」
「それならよかった」
じゃあ、と促して成歩堂の自宅に向かった。
真宵は隣りを歩く。
彼女は小柄で、成歩堂より歩幅も狭い。彼女に歩調を合わせるのにはまだあまり慣れておらず、時々小走りにしてやっと追い付いているのに、初めは気付かなかった。
いつも、しばらくしてからやっと思い出すのだ。
成歩堂は対策をすぐに思いついた。
「手、繋ごうか」
真宵がはっと顔を上げて成歩堂を見た。
その顔を見て、自分で言った言葉に照れてしまう。ただ手を繋げば歩調を合わせるのも容易だろうと考えたのであって、他意は無い。
だが手を繋ぐということはつまり互いの肌が直接触れるということ。成歩堂自身、大それたことを言ってしまったと思うが、言い出した手前、退くこともできずそっと手に触れる。
お互い軽く握り合った。
そして顔も見ることができなくなってしまって、真っ直ぐ前だけを見て歩く。
歩調はごくゆったりとしていた。
* * *
真宵は成歩堂の家に来たことがない。初めての訪問だった。
戸を開け、中に通して座らせると、落ち着かない様子で正座している。
成歩堂は冷蔵庫の麦茶をコップに注いで彼女に渡した。
「あ、ありがと」
両手で受け取った彼女は、そのまま口に運んで一口二口飲み、机にコップを置く。
明らかに緊張していた。
「そんなに固くなるなよ。そうだ、僕まだ夕飯食べてないんだけど、真宵ちゃんは?」
「あ、あたしもまだ」
「残念だけど、材料は無いからインスタントだよ」
「・・・・ラーメンがあるならいいよ」
歯を覗かせて笑んで、彼女は言った。
食料品を溜めてある棚を漁ると、丁度みそラーメンがあった。
真宵が見せた笑顔と似た表情でそれを示すと、彼女は大袈裟に喜んだ。
湯を注ぐだけですぐにできてしまって、真宵の前にはしきりに湯気を上げるラーメンが完成した。
それを見る彼女は本当に幸せそうだ。
「本当にみそラーメン好きなんだね」
「みそラーメンが好きじゃないなんて、人生の三分の一損してるよ!」
「・・それはどうかな」
苦笑をこぼした。
成歩堂の夕食も真宵に合わせてラーメンだが、みそは真宵ので最後だったので醤油だ。
しばらくは麺を啜る音だけが響く。ラーメンは伸びる前に食すのが肝心だ。
スープまで飲み干して、箸を転がす。
真宵は帯がきつくなったと眉をしかめている。
「いつも思うけど、その帯、苦しくないの?」
「ん?もう慣れちゃったからね。むしろ洋服はスカスカして不安だよ」
「そんなもんかぁ」
「そんなもんだよ。なるほどくんもこれから着物で生活すればわかるんじゃない?」
「・・・・遠慮しとこうかな」
また苦笑して、食べ終えた器や箸をまとめる。
真宵がそれを手に取った。
「あたし片付けるね」
「そう?じゃあ僕はお風呂を張って来ようかな」
片付けは彼女に任せて、成歩堂は浴室に向かう。
鼻歌でも歌い出しそうな調子で洗い物をする彼女をちらりと盗み見て、密かに微笑んだ。
* * *
「なるほどくん先に入っておいでよ」
「いいよ。真宵ちゃんが入ってる間に布団出すから」
「それ、あたしがやる!ちょっとはお仕事したいもん」
お客にそれは、と少し渋るが最終的には真宵に任せた。
それならばと、真宵を待たせないように烏の行水で済ませてしまう。元々長風呂はしない質だが。
浴室から出ると、布団は途中段階まで敷かれてあった。真宵がセッティングを続けている。
成歩堂に気付いて振り向いた。
「うわ、誰?」
「誰は無いだろ」
開口一番失礼な子だ。
真宵は楽しそうに笑う。
「だって、なるほどくんはやっぱトゲトゲじゃなきゃ」
「ぼくだって夜くらいは丸くなるんだよ」
髪にばかり注目したままで真宵は続ける。
「毎朝大変じゃないの?あの髪」
「慣れちゃったからね」
「そんなもんかなぁ」
「そんなもん。真宵ちゃんもこれから髪を立てればわかるんじゃない?」
「・・・・あたしはやめとくよ」
確かに、彼女の長さを立てようとすると大変そうだ。
「じゃあ入っておいでよ」
「うん、お風呂借りるね」
真宵は立ち上がって風呂に行ってしまった。
その背中を見送って成歩堂は布団のセッティングを続けた。
作業をしながら心の中でぼんやりと考える。
今夜、どうなるのかなぁ。
* * *
真宵が入浴を済ませて出てきた。
成歩堂が貸したシャツと短いズボンを纏っている。
小柄な彼女に男物はやはり大きすぎた。何とか着られてはいるようだが、布が余っている。
長い髪から水が垂れないようにタオルを頭に巻き付けて髪を纏めていた。
「その髪、どうするの?」
「どうもしないよ」
「放っておくの?」
意外を顔に表して言うと、真宵はこっくり頷いた。ついでに小さく首を傾げた。
成歩堂は溜め息を吐いた。
そして立ち上がって洗面所に向かう。
「どしたの、なるほどくん?」
「ちょっとそこ座って」
洗面所から顔を見せずに指示をする。
目当てのものを手に取って寝室に向かった。
「なに?ドライヤー?」
「そう。はい、おとなしく座る!」
成歩堂はベッドに腰掛け、真宵をその前に落ち着かせた。
彼女の頭のタオルを取り払い、簡単に梳る。洗ったそのままの髪は所々櫛が引っ掛かった。それらを丁寧にほどきながら整えていく。
ドライヤーに電源を入れ、乾かしながらさらに整える。
「ねぇ、どうしたの?なるほどくん」
「まあ黙って待っててごらん」
段々と髪の湿気が取れていく。
それに伴って髪の艶が増していった。
ドライヤーを止めて、髪を一房掬い落としていく。一本ずつ真宵の背中に散って落ちた。
「ほら、綺麗になった」
自分の髪を摘んで、それをじっくり眺め、真宵は成歩堂を振り返った。
笑顔に飾られて輝いている。
「すごいね!うわぁ、あたしの髪も結構やるじゃん!」
はしゃぐ真宵を見て、成歩堂も気分がいい。
「よし、じゃあ寝ようか!」
元気いっぱいに言われて、成歩堂は対応が追い付かず笑顔が固まった。
真宵はそれを気にも留めずに布団に潜る。
「ちょ、え、ま、真宵ちゃん!?」
「ん、なに?」
なにときかれて、成歩堂も答えられないことに気が付いた。
純粋な目で見つめる彼女の目を見ながら、何でもないと返して成歩堂も床に入ることにする。
「・・・電気、消すよ」
「うん、お休み。なるほどくん」
明かりを消して暗くなった部屋ですぐ側に真宵を感じながら、成歩堂は拍子抜けした気分を抱え込んで倦怠に身を任せる。
その一方で、どことなく安堵もしていた。
ただ単純に楽しい一夜を過ごせる関係というのは、彼にとって望ましかった。
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