ちょっと夜に付き合ってくれ、とヒューゴに言われたのは昼間のこと。
何か重大な用事があるようなので、夜までにやるべきことは終えておいた。
正軍師という立場上、仕事は少なくなかったが、急ぐものも無かったので大した問題ではなかった。
そして日が暮れて、ヒューゴと待ち合わせた、もはや形式的なものでしかない城門に向かう。そこを毎日朝から晩まで守る少女は、それでも誇りを持って務めを立派に果たしている。
この時間にはもう彼女はおらず、ヒューゴがいて、馬を連れていた。ヒューゴに慣れている馬であるようで、彼にしきりに顔を擦り付けている。彼は困った顔をしながら、それに応えて馬の鼻を掻いてやっていた。
門のかがり火に淡く照らされて、カラヤ独特の極彩色の衣装が映える。
カラヤの馬は、ゼクセン等で一般的に騎乗に用いられている馬よりもいくらか小柄で、走り方も馬と言うより鹿に似ている。
シーザーはこの馬に騎乗するのは苦手だった。
「よぉ」
声をかけると、ヒューゴは振り向いて目許を和ませた。
顔は笑んでいるのに、その笑顔にはどこか影があった。
しかしはっきりと見て取れるほどでは無かったので、特に気にした様子を見せずに言葉を繋ぐ。
「で、どうしたんだ?」
「外に行かない?」
こんな時間に?炎の英雄が?
渋面を作ると、必死の様子で頼み込まれた。
本当に切実なので、何かあるのだろう、と認めた。
頷くと、嬉しそうに、ふわりと花が咲いたように笑う。
「じゃあ乗って」
そう言って背を示し、シーザーはそれに従って馬に跨がった。鞍も鐙も無いので落ち着かない。
ヒューゴはどうするのかと思えば、彼は馬の首の付け根に跨がった。
カラヤ一の馬の乗り手と言われるヒューゴに、大丈夫なのかという問いは野暮だろうか。
ヒューゴは馬の首を、数度軽く愛撫して、強く叩くと同時に鋭い声を掛けた。それを合図にして、馬は駆け出す。
手綱をとるのはヒューゴだった。
慣れないカラヤ馬の走り方に、落ちそうになるのを、馬の背に必死でしがみついて堪えた。
城の明りが、遠くに小さく見える所まで走り、ヒューゴは小高い丘の上で馬を止めた。 背の低い馬から降りて、辺りを見る。
ヒューゴの故郷の草原に似ているようにシーザーには見えた。彼は、カラヤに訪れたことは無かったが、カラヤがかつてあった草原には、ヒューゴに連れられて行ったことがある。
今は夜だから、シーザーが見た昼のカラヤの草原とは雰囲気が違うが、似たものを感じた。
月影が草の一本の上で跳ねて、光の華を咲かせたようにも見え、それがどこまでも続いて幻想的な花畑を作り上げた。
ヒューゴは歩み出て、俯き加減に首を巡らした。
微かに見えた横顔は穏やかな表情で、微笑んでさえいるようだ。親しい者に語り掛けているようにも見える。
ヒューゴの周囲には侵しがたい空気があり、シーザーは黙って立ち尽くす。
「……シーザー」
軽く俯いてこちらに横顔を見せながら、ヒューゴは呟いた。表情は変わらず穏やかだ。 話の先を促すと、ヒューゴは振り向いてシーザーに向かって手を伸ばした。真っ直ぐに腕は伸ばされ、微かに傾けられた顔は今までよりも深い微笑みを刻んでいた。 誘われるままに手を取り、ヒューゴに寄る。
一陣の強い風が、月の下の草原を駆け抜けた。
ヒューゴの笑顔は益々華やいで、そして突然シーザーの胸に飛び込んだ。
抱き留めて、ヒューゴの顔を見下ろしながら言う。
「ヒューゴ?」
「……今ね、シーザーを紹介したんだ」
「誰に?」
「大地に帰った、戦士達に」
大地に帰ったというのは、カラヤ独特の考え方なのだろう。
戦士、という言葉から、亡くなった者達を指しているのだろうということは容易に推測できた。
もちろんそれは大地に帰りし数多の戦士を指すのだろうが、ヒューゴの胸中に浮かぶのは、具体的に一人なのだろう。
弟のようであり、親友であった少年。
彼の存在は、以前誰かが話してくれた。シーザーは、彼の死がヒューゴに英雄を求めさせたと考えている。
ヒューゴは特に彼に向かって語り掛けていたのだろう、だからあの時の笑顔には陰りがあったのだと、頭の奥で考えた。
しかし何故、そしてシーザーの何を紹介したのか。それを尋ねようとしたが、ヒューゴが先に口を開いた。
シーザーに身体を預けたまま、囁くような甘い声で。
「オレの、大切な人だ……って」
ヒューゴの言葉に、胸が締め付けられるような、心地よいものが湧き上がってくる。
衝動がそうさせるままに、腕に強く力を込めた。応えて、ヒューゴの腕が背中に周る。
「みんな、祝福してくれた」
先程の風がその合図なのだろう。
シーザーはカラヤのような生き方をしてこなかったから、あまり実感が無いのが現状だ。それでも、心を満たすものがある。
「それじゃあ俺達、ずっと幸せだな」
祝福など無くても、幸せだが。
ヒューゴは頷いて、シーザーに頬擦りした。
頬と頬が擦り合わさって、シーザーは少し顔を捻った。すぐに唇はヒューゴの頬を捕らえ、軟らかな彼の唇に辿り着く。
背中のヒューゴの手が、拳を作るのを感じた。
薄く目を開けてヒューゴの目を見ると、緩く閉じられた瞼が見える。そこを縁取る濃い長い睫毛が、細かに震えていた。
頬が見る見る朱の色に染まっていく。月の魔力によるものか、艶めいて見えた。
顔を傾けて、より深くする。息を吐くのと同じくして、小さく声が洩れ聞こえた。
何度か啄んで、最後に舐めて離れた。
ヒューゴは、赤く染まった頬を隠すように、シーザーの肩に額を乗せた。
「顔上げろよ」
ヒューゴは首を振って、シーザーの言葉に従おうとしなかった。
しかしシーザーは、紅葉を散らしたヒューゴの顔がいいのだ。
「月が綺麗だ。顔上げて見てみろよ」
言いながらシーザーは空を見上げた。
ゆったりとした緩慢な動作で、ヒューゴは顔を上げ、同じように空を見上げた。
「本当だ……満月だね。綺麗……」
「だろ?けど……お前の方が、綺麗だ」
えっ、と小さく声を洩らしてヒューゴはシーザーの顔を見た。頬の赤みは最高潮に達し、大きく見開かれた瞳は星を浮かべる。
片手でヒューゴの頬に手を添えた。
「綺麗だ……」
繰り返して言うと、ヒューゴは視線をはずして俯いた。
しかしすぐに顔を上げる。照れを隠し切れない微笑みを浮かべて。
そこでまた、風が吹く。
先程の強い風とは違い、柔らかく包み込まれるような風だった。
突如、火の粉が周囲から立ち上ぼった。足下から次々に生まれては風に乗って天に舞い上がる。
熱は感じない。ただただ美しい光景だと感じた。さながら紅いカーテンの様だ。
辺りを見回し、ヒューゴに視線を戻すと、彼も状況を把握できずに戸惑った顔をしている。
己の右手甲を見て、強い光を発する紋章に驚く。
そんな彼の様子から判断するに、意識してやっているわけではないらしい。
紋章は所持者と一体だ。精神の影響を多大に受ける。
ヒューゴは継承してから日が浅く、まだ上手く扱えていないために、強い感情が形に現れてしまったのかもしれない。
だとしたら、この炎の形は、ヒューゴのどんな感情の形だろう。
天を仰ぐと、皓々と輝く白い星々と、煌々と舞う紅い火の粉が、空を細かい水玉模様で飾っていた。

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