未来捏造、死にネタ、注意です!!
苦手な方は読まれないことをお勧めします。
* * *
シーザーとは結局、カラヤで一緒に暮らしていた。これが紆余曲折の末漸く落ち着いた二人の結論だ。
軍師と軍主の関係、それは崩れず、互いを大切にしているのも変わらず、長く時を共有した。
だがしかし、精舎の鐘の音のように、永遠不変というものは存在しない。
シーザーは数日前倒れてから体調が芳しくない。本人は平気な様子を見せているが、もう長くないのは悟った。
シーザーには専用の場所が用意された。ヒューゴがさせた。
それというのは小さな家で、村の家々からは少し離れて作ってある。疎外されたかのような建て方だ。
今日もそこに、暇を見つけて訪れた。
そっと中を覗くと、シーザーは目を閉じていた。眠っているのだろうと判断して、声を掛けずに背の低い寝台の横に胡座をかいて座った。
横顔はやつれて、こけた頬が痛々しい。元から細かったが最近もっと痩せたようだ。
しばらく見ていると、瞼が持ち上がって瞳がヒューゴを捉えた。こうしてこちらを見据える目の力だけはずっと変わらない。
「起こした?」
シーザーは首を左右に振る。
「体調はどう?」
「さすがに走り回るのは無理だけどな、気分はいい」
「大丈夫なのか?」
「駄目って言ったらキスでもしてくれるか?」
呆れた顔をして軽く溜め息を吐いた。
口ばかりは元気らしいが、昨日と明らかに様子が違う。昨日は起き上がって迎えてくれた。
日に日に弱っていくのがこうやって見えるのだ。
「……じゃあ、顔見たら安心したから、行くな。また夜来る」
「ああ」
挨拶もそこそこに立ち上がってその場を後にし、足早に村の外まで出た。
そのまま一人になれる所に向かった。
シーザーを気遣ったわけじゃない。ヒューゴ自身が変わらない顔で話すことは困難そうだった。
シーザーの様子を見て、別離が確実に這い寄っていることがわかった。今までそんなことには目を逸らして、考えないようにしていたが、最早逃れようのないことらしい。
彼に会う度これが最後の面会かもしれないと思う。
だから、笑って会いたい。
涙は決して見せない。
* * *
夜になって、雑多な仕事を終えてシーザーの所に行った。ヒューゴもここで寝泊まりしていた。
残された時間を少しでも共有していたい気持ちからだ。
シーザーは眠っていた。
寝台の横に座って、手を取る。温かい手は肌に張りが無く萎れている。慣れたはずなのに、悲しい感触だった。
こうしてシーザーの顔を見て、シーザーの体に触って、一晩一緒にいる。眠ってしまうと残された時間が勿体ない気がして。
「ヒューゴ、寝ろ」
急に声をかけられて、慌てて手を離した。
「ごめん起こした?」
「触られたらそりゃあな」
黙ったまま答えなかった。
「握ったままでいいから、寝ろって」
「嫌だ」
「逃げたりしねえから」
「嫌だ」
小さな溜め息が聞こえた。困らせたらしい。
先ほどまで触っていた手が、持ち上がって、頭を撫でた。
「お前の体が参っちまう」
「大丈夫だ」
「頼むよ」
シーザーが引く気が無さそうなので、この場はヒューゴが折れた。
頷くと、シーザーが微笑んだようだ。光が無くてよくわからない。
寝台の下に横になろうとしたところで、その寝台を叩く鈍い音がした。シーザーが自分の隣りを叩いて示している。
「そんな固い所で寝ることない」
「いい!」
「今更照れるなよ。何度隣りで寝起きしたと思ってんだ」
さらりとそういうことを言ってのけるのが憎らしい。
益々隣りになど行けなくなって、強く首を振った。
「側に、居てほしいんだ」
本気なのか、口実なのか、どちらも当てはまるのだろうが、ヒューゴが軽く答えていいものか困る声音だった。
しばらく迷った挙句、シーザーに寄り添うように寝台に乗った。すぐさまシーザーが胸に収める。
生きた人の温もりとシーザーの香りに包まれて、安心した。
「こうするの、久しぶりだな」
頷いて答えた。
シーザーとは昔から同じ所で寝起きしたが、年をとってからは若い頃とは違っていつもいつもくっついたりはしない。そんなことをしなくても満足できるだけの余裕を持てた。
今は、こうして質感を確かめていないと不安で潰れてしまいそうだった。
「おやすみ、シーザー」
「おやすみ」
そう挨拶しても、ヒューゴは眠るつもりは無かった。
眠ってしまっている間、シーザーの温もりを実感できない。その時間が勿体ない。この一瞬一瞬、一夜一夜、別れへと近付いていくのだ。望まなくとも。
一晩中胸に耳を押し当て鼓動を確かめ、肉体の感触を自分の体に覚え込ませる。
ずっと一緒だと思っていた。
終わりが無いはずが無いということも、知ってはいた。ただ、それはずっと先のことで、明日明後日の話ではないと。実感を伴ったことではなかったし、真剣に考えると怖くて、先送りにして逃げた。
ふと気が付くと、僅かに東の空が明るい。また、夜が明けていく。無慈悲な無常の世だ。
* * *
ヒューゴは寄り合いの場から追い出された。
半分眠ったような状態で、話にならないと言うのだ。
さすがに連日の不眠が祟ったらしい。
仕事も全て取り上げられてしまって、そうなるとする事も無くなり、シーザーの所に行くことにする。
シーザーは目を開けていた。かといって何かをする程の体力も無いらしく、ただ天井を見つめている。
ヒューゴが入ると、気が付いて首を向けた。
「珍しいな、こんな時間に」
「今日は暇なんだ」
少し嘘をついた。
シーザーは信じたように見える。昔は必ず見破られたが、最近は上手いものだ。
寝台に左の肩を預けて座った。ちょうどシーザーの顔がよく見える。
特に話すということもなく、ずっとそうしているだけだった。シーザーの顔を見つめて、じっとしている。時折シーザーが目を合わせてくるので、その時は少し視線を外す。目が合ってしまうと彼の視線に捕われて、どうすればいいのかわからなくなることを知っているからだ。
そうするうち、瞼が重くなってきた。このままではここで眠ってしまうと思いながら、動くことができない。体が睡魔に侵されて、まともに思考が働かない。
「眠いんなら寝ろよ」
「……ん……」
シーザーに返事をするのにも、鼻から声を洩らすのが精一杯。
脇で居眠りをするのも気が進まないが、舟を漕ぐのもみっともない。
「……ちょっと、隅の方、借りていいかな」
返事は無く、代わりに頭をベッドに押しつけられた。
ふかふかした所に頭を落ち着けて、いよいよ本格的に眠りに墜ちる。
ほんの少し仮眠のつもりだが、そんな簡単には済みそうもないと、ぼんやり考えながら眠った。
目が覚めた時には、辺りは薄暗かった。太陽の明かりが少しある。方角からして、夕刻のようだ。
半日眠っていたらしい。
シーザーの顔を見ると彼も起きていて、ヒューゴを見た。表情が柔らかく和む。
「おはよう」
「……おはよう。ごめん、ちょっと寝るだけのつもりだったんだ」
「いいよ」
ヒューゴの体には、布がかけてあった。
二枚あったはずのシーザーの上掛けが減っているから、彼が掛けてくれたのだろう。
それを手に取って、シーザーに掛け直した。
その手を急に掴まれた。強く引かれて、シーザーの意図を汲んで体を屈めた。顔の両脇に肘をついて正面から見つめる。
「なに?」
上体はそのまま、シーザーに多い被さったままで寝台に腰かけながら尋ねる。
シーザーの片腕は腰に、もう片腕は頭の後ろに回って、双方強く引き寄せた。
緩く抵抗しながらも近付いていく。
触れた唇は、乾いて固い。しかしヒューゴが舐めるとそのうち柔らかくなった。
大抵の大人の男というのは、それなりに年をとってくると威厳を求めるのか、髭を伸ばすが、シーザーは違った。以前指摘してみたら、キスの時に邪魔だからだと言っていた。
そんなことを思い出しながら、彼の唇を味わう。
もう体に染み付いたタイミングで一度離れて、また重なる。
二度目に離れた時、シーザーが話し出した。
「もう無理、すんなよ」
「してないよ」
嫌な話が始まったと思い、シーザーの口をキスで塞ごうとする。シーザーはそれを、顔を背けることで躱した。
真っ直ぐ見つめられて、視線が外せなくなる。
そっと抱き寄せられて、シーザーの顔の横にすり寄った。
「な?」
ゆっくり深く頷いた。
毎晩眠らずにいたことが知れてしまって、それをシーザーに止められればあまり反抗もできない。シーザーに心配はかけたくなかった。
最期に彼の心は綺麗なものでいっぱいに満たされていてほしい。
その晩、ヒューゴはシーザーの隣りに寝台をしつらえて、そこで彼の手を握って眠った。
* * *
シーザーは日々弱って、それは目に見えた。
意識が無くなることは無かったので、それだけはヒューゴの支えになった。
日を追う毎に、ヒューゴがシーザーの所にいる時間は長くなっていった。今ではほとんど一日入り浸っている。
それを村の人は許した。いつも村を最優先に考える族長が、初めて言った我が儘だ。
シーザーの所にいる時、彼が眠る様子が無ければヒューゴは色々のことを話した。なるべく楽しい時間を彼と持つために。
それをシーザーが初めて遮った。
「ごめんなぁ、ヒューゴ。俺、お前の軍師、もう無理みたいだ」
「なんだ、もうとっくに定年退職したんだと思ってた」
軽い笑い声が返ってきた。
それが治まって、しばらく静かになる。
「お前は、もう一人でも大丈夫だよな」
「……うん」
「俺がいなくてもカラヤにはお前を支えてくれる人がたくさんいる」
シーザーはそこで一息吐いた。
連続して話したのが苦しいのだろう。
「ここは、良い村だ」
またしばらくの間があって、徐にシーザーは口を開いた。
「ヒューゴ、俺は先に逝くけど……」
「……生きるよ、強く生きるから」
微笑んで言ったつもりだが、上手くいったかはわからない。
ヒューゴにできることが何も無いのはわかっているけれど、せめて、そう思った。
シーザーは綺麗に微笑んだから、ヒューゴの答えは彼の気に入ったのだろう。
「でもな、強くなることと無理をすることの意味を、履き違えるなよ」
静かに、微笑みながら、シーザーは言い放った。
わかってる、と答えようとして、言えなかった。ヒューゴは、わかっていなかった。
不意にシーザーは笑顔を消して、片手がヒューゴの頬に添えられた。
「ごめんな……」
シーザーは笑おうとして失敗していた。
シーザーも表情を作り損ねることがあるのかと、妙に深い感慨を覚えた。
その一方で、ああ、本当にもう、最後なんだなと、頬に当てられる手に自分の手を重ねながら考える。
互いに歪んだ微笑を浮かべて相対した。
ほんの短い間そうしていたが、頬を包む手が、するりと力を無くして落ちた。
慌てて受け止め、強く握る。そのままシーザーの顔をしばらく見る。
「なんで、謝るんだよ」
握った手を、そっと胸の上に置いて安定させた。
立ち上がって再び顔を見つめ、彼の髪を一掻き。挨拶はそれだけでヒューゴは外に出た。
振り返って、建物全体を一度眺める。
屋根から突如火が上がった。それはすぐに全体を包む。
派手に燃え盛る。
気付いた人々が慌てた様子で鎮火しようとするが、ヒューゴがそれを止めた。
「周りには移らない。シーザーは空に帰してやりたいんだ」
それだけ言うと、もう誰も火を恐れなかった。ヒューゴの生み出した炎なら安心と判断して、彼の邪魔にならないようにした。彼の大切な人を送るための炎なら、尚更だ。
これは、その人を飾る花でもあり、その人を導く標でもある。
ヒューゴは炎をじっと見つめる。
炎の赤は、深みを増して真紅へ、果ては血の色へと変わった。血とは言っても、不気味な雰囲気ではなく、人の温もりの源といった意味合いの優しい色だ。
シーザーの昔の髪の色に似ているな、と思った。晩年は色が抜けて銀に染まったが。
昔の記憶は、まだ鮮やかに胸を刺す。
不意に視界が濁った。
(泣かないって、決めたのにな。ごめん、シーザー)
涙は流れるに任せた。
これで最後にしようと思うから。
涙に光が捩じ曲げられて、炎が虹色に見える。
ヒューゴは、シーザーの最後の言葉の意味を考えていた。
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