更に一日が経った。
シーザーは獣になり、世界は活動を始める。
トウタが診察に来る。
結果は問題無し。
ただし、まだ安静にしていろとのことだった。
「先生、オレ、シーザーのことでアイラに会わなきゃいけないんだ。会うぐらい、いいですよね?」
「残念ながらだめです。アイラさんは昨日、ゲドさん達とブラス城に行きました」
ヒューゴは愕然とした。
やはり、昨日無理にでも会っておくべきだった。
「あなたのことだから、こっそり抜け出して行こうとしてしまうでしょうが、そんなことはしてはいけませんよ。あなたの身体は、もうあなた一人のものではないのですから」
そう言われてしまうと、反論できなかった。
英雄ならば、己を危険に晒すようなことはしてはならない。
そして、英雄が無断で単身外出などしてはならない。
それを改めて認識させられた。
「……それじゃあ、アイラを至急呼び戻してください」
「えぇ。わかりました」
深く頷いて、トウタは立ち上がった。
ヒューゴは今、ベッドに腰掛けている。シーザーは足元に居た。
アイラがいないとなると、シーザーを人間に戻すのはもう少し後になりそうだ。
シーザーに申し訳なかった。
ヒューゴのせいで獣になど姿を変えられ、しかもそのうちに本当に獣になるという。
それなのに、またヒューゴのせいでアイラにすぐに会うことができなくなり、元に戻してやるのが遅れた。
もう、シーザーには時間が無いというのに。
胸が苦いもので一杯になった。
「それではヒューゴ様、くれぐれも安静に」
「あ……はい」
そう言って顔を上げてトウタを見ると、景色が歪んだ。
なんだかよくわからないうちに、身体が傾いていくのを感じた。
地に体が着く衝撃を感じる前に、ヒューゴの意識は途切れていた。

* * *

気がつくと、ヒューゴはなぜかベッドにいた。
周りを見ると、暗くてよくわからないが、どうやら医務室のようだ。
倒れて、ここに運ばれたのだということはすぐにわかった。
「起きたか?」
シーザーの声がした。
そちらを見ると、うっすらと人影が見えた。
それがシーザーなのだろう。
「目が覚めたら戻っていいとさ。ここであまり話すのもまずい。戻ろう」
今が夜中なのか、まだ日が沈んでそれほど経っていないのかわからないが、どちらにしろここには病人や怪我人がいるはず。
話は控えるべき所だ。
ヒューゴはベッドから下り、簡単に整えると、シーザーと共に部屋を出た。
外に出ると、まだ遅い時間でないことがわかった。
人が行き交い、活気がある。
「心労」
「え?」
「お前の病名」
前を歩くシーザーが、素っ気なく言った。
怒られているような気がした。
「……怒ってる?」
「怒ってる」
周りの視線が、気になった。
あんな事件が起きたばかりだ。
それに、シーザーが、狼に変化するようになってから人前に人間の姿で現れたのは、今日が初めてだ。
更に、炎の英雄ヒューゴはそこに居るだけで注目を集める。
普段は賞賛、尊敬の視線。くすぐったいが何となく嬉しいものだ。
今は、悪意の視線ではないが、好奇の視線だ。あまり心地良くない。
ヒューゴは何も答えられず、黙っていた。
シーザーは無言のまま足早に部屋に向かう。
気まずい沈黙が続き、シーザーが今何を考えているのかわからなかった。
目の前の背中は、何も教えてはくれなかった。
部屋に入り扉を閉めると、シーザーは急に振り向いて抱き締めてきた。
「……馬鹿やろう。心配させやがって」
おずおずと、シーザーの背中に手を添えた。
「……ごめん」
「許さない」
「ごめん、反省してる」
「絶対嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。許して」
「許さない」
シーザーは更に腕に力を込める。
「シーザー、痛いよ……」
その痛みは、なぜか心地よかった。
「苦しいよ……」
苦しさが、泣きたいぐらい嬉しかった。
「……許してほしかったら、キスしてみろ」
「なんだよそれ。全然理屈通ってないよ」
「うるさい」
しばらく躊躇して、腕を緩めると、シーザーも緩めた。
なんだか、今日はシーザーが幼い子供のように感じた。
心配をかけたからだろうか。
心臓が普段の倍ぐらいの速度で血液を送り出しているのを感じながら、ヒューゴはシーザーに顔を寄せていった。
月気、鮮やかに降り注ぎ、仄かに部屋を照らし出した。

* * *

空がうっすらと白み始めた。それが強くなるのと比例してシーザーの体は狼に近付いてゆく。
この変化の時、ヒューゴはいつも緊張していた。
もしかしたら今日こそ本当に狼になってしまうのではないか、と。
いつもそれは杞憂に終わったが、今日もそうとは限らない。
変化が終わると、シーザーはいつもの通り、ぐったりと身を横たえた。
どことなく、その身体がいつもよりも大きい気がした。
静かに近寄り、背を撫でた。
するとシーザーはびくりと反応して、ヒューゴから離れた。
こちらを見るその目は、いつもと様子が違う。
「……シーザー?」
グルル……と低い唸り声が聞こえた。
威嚇の姿勢でこちらを見ている。
「シーザー……!」
思わず手を伸ばした。
その手を、鋭い牙が裂いた。
威嚇の為だけだったのか、喰いちぎったりはされなかったが、すぐに血が溢れ出した。
ヒューゴは茫然とシーザーを見つめた。
傷口から絶えず血が流れている。
まだ、シーザーは唸り、威嚇を続けている。
離れるしかなかった。
ヒューゴはシーザーの目を見つめたまま離れ、後ろ手で扉を開けて外に出た。
「血……」
シーザーが咬んだ右手から流れる血が、床にポタポタと垂れていた。
それをしばらく見つめ、ヒューゴは怪我をしていない方の手で顔を覆った。
右手を握り締めて扉を思いっきり殴り、駆け出した。
太陽が見える所まで駆けた。
走ったせいで余計血が溢れてきた。
痛いし、不快だがそれどころではない。
「シーザーを戻せ!今すぐに!」
返答は無い。
「お前がオレにこんな試練を与えたのは、オレに力を貸さなければならない理由があったんだろ?!それなら、シーザーが完全に狼になってしまえば、オレはもうお前に力を求めたりしない!!それでもいいか!応えろ!」
「五月蝿いやつだ」
背後から声がした。
ヒューゴは烈しい目をしたまま振り向いた。
男が立っていた。若いように見えるが、それはよくわからない。
「そう吼えずとも聞こえる」
「……シーザーを戻せ」
トーンを抑えた声で言った。
相手は、全くそれに怖じた様子はない。
「いいだろう。今、お前は試練を終えた。太陽の加護を与えよう」
「そんなもの、いらない」
「面白いやつだ」
「何がだ!当たり前だろう!こんな卑怯なことをした奴の力なんて……!」
「卑怯なのはわかっている。申し訳ないとも思っている。だがお前の心を知りたかった」
「……どういうことだ」
「試練を乗り越えても、お前の心如何によっては、私は力を与えるつもりは無かった。心から彼の為を思っていたかが重要なのだ」
「そんなことにシーザーを巻き込んだのか!」
「結果がどうであれ、彼は人間に戻してやるつもりだった。つらい思いをさせたことには謝ろう」
案外、話のわかる奴だと思った。
神の類はヒトの心など構わないものだと思っていた。
「オレが呪いだと気付かなければどうしたんだ」
「お前にはある程度、台本が与えられていた」
「なんだって?」
「ササライに情報を伝えたのは私だ。お前達がササライに尋ねずとも、彼はお前達に情報を伝えたはずだ。そしてお前は私と会う。それが試練の終了だ」
「……まさか、ヨキを殺したのも……」
「あれは違う。本当に事故だ。皮肉なことだが、あの事件で更にお前を知ることができた」
「なぜ、オレに力を与えるんだ」
「今のままでは、お前の為そうとしていることは果たせない。紋章を使いこなせていない」
否定したかったが、できなかった。
「この世界がどうなろうと、お前には関係無いだろ?」
「世界はどうなろうと構わないが、私はお前を失いたくなかった」
「それなら、最初からオレのことは認めてるんじゃないか!試練なんて必要無かった!」
「それは表面のみ見た結果だ。そして今、私はお前の本質を知った。力を受け取れ」
ヒューゴはしばらく考えた。
こんな奴の協力など……と思う心もあるが、これはヒューゴ一人の問題で収まらなくなっていた。
力をもらわなければ、ヒューゴは負ける。
皆を守ると誓ったのだ。
「力を、貸してくれ」
「お前ならそう言うと思ったよ。だからこそ、私はお前を選んだ」
彼はヒューゴの右手を取った。
右手からは、まだ血が流れていた。
手がかざされると、紋章が変化する。
炎を纏った三本足の烏のように見える。
同時に傷も消えている。
「彼にはお前を傷付けた記憶は無い」
だから、今治してしまえばシーザーがヒューゴを傷付けたことで心を痛めることはない、ということだろう。
「……ありがとう」
男は、微笑みを返して消えてしまった。
もう一度、右手を見る。見慣れない紋章の力は、どんなものなのかわからない。
真の炎の紋章さえ使いこなせなかったのに、この紋章が使えるだろうか。
それとも、紋章を扱いやすくする効果があるのだろうか。
拳を握りしめ、自室に向かって歩きだした。

* * *

シーザーは、ベッドの上で眠っていた。
人の姿だ。
裸で、寒そうに見えた。
布団を掛けてやり、自分も同じ布団に潜る。
自分からこうしたとわかってしまうだろうか。
きっと大丈夫だ。シーザーが勝手にしたのだと言えばいい。
外気に晒されて、冷たくなった身体に身を寄せた。シーザーも、温もりを求めるように寄ってくる。
起きたら、自分の身体が戻ったことにきっと驚き、喜ぶだろう。
それを充分分かち合った後に、新しい紋章のことを教えてやるのだ。
シーザーはどんな顔をするだろう。
きっと喜んでくれる。
ササライにも報告と、それから文句を言いに行かなければならない。
取り敢えず、今はこのままでいたい。
そう思った。

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