数日が経った。
シーザーの身体は順調に成長を続け、それに伴い野性的な外見になっていった。
シーザーは犬ではなく、狼であることに気が付くのに、それ程時間は要しなかった。
子供は相変わらず懐いているが、大人は恐れて近付こうとしなかった。
自分の子供をシーザーから遠ざける親もいた。
「ヒューゴ様、そいつは早く遠くにやってしまった方がいい。その毛の色、異常な成長の速さ、ソレは普通じゃない」
ある時、そう言われた。
シーザーが歓迎されていないことが堪らなく悲しく、悔しかった。
ササライが戻るまでの間、シーザーの変化について調べた。
まずはビュッデヒュッケ城の図書館。
そして人に頼んで、もっと広範囲で。
あらゆる手を尽くしたが、何もわからなかった。
* * *
自室に入ると、若い獣が日当たりの良い場所で横たわっていた。
シーザーだ。
初日ほど急激ではなくとも、目に見える速さで成長を続け、そして今はそれは止まっているようだ。
まだ、成熟してはいないようだ。幼体と言えるだろう。
「シーザー、今日はいい情報があるぞ」
シーザーは耳を動かし、興味があることを示した。
ヒューゴが持ってきた情報は、朝の会議で手に入れたものだ。
シーザーは会議に出席しなくなっていた。ヒューゴがさせていない。
疲れているようだから、休ませてやりたかった。
「ササライさんが明日ぐらいに帰ってくるって!」
シーザーはあまり関心が無さそうに一度尾を振った。
「……あんまり嬉しそうじゃないな」
シーザーの横に座りながら言った。
シーザーは薄く目を開けてちらりとこちらを見、またすぐに閉じてしまった。
「それから、もう一つ。あんまり楽しい話じゃないんだけど」
シーザーはまた目を開けてこちらを見た。
「家畜が野犬に襲われたらしいんだ。シーザーを疑ってる人もいるみたいだ」
シーザーはやはり興味無さげに目を閉じた。
「外に出るの、やめる?」
シーザーは首をもたげ、左右に激しく振った。
「……そうだよね。ここで逃げたら、皆が言うことを認めることになるし、疑われてるんなら疑いを晴らさないとね」
シーザーは立ち上がり、扉に向かった。
もう外に出るらしい。
ヒューゴも扉に向かい、扉を開けてやるとシーザーは先に部屋を出た。
* * *
城の外に出ると、冷たい視線を感じた。
昨日までは、ただ恐れ、避けるだけであったのに、悪意を感じる。
こんな空気の中にシーザーを置いておきたくはないが、逃げるわけにもいかない。
「あ、シーザーだ!」
近くにいた子供が駆け寄ってきた。
他にも数人寄ってこようとしたが、その中の幾らかは親に止められて寂しそうな顔をしてこちらを見ている。
「ね、ね、背中に乗っても大丈夫?」
そう言い出したのは、3歳ぐらいの男の子だろうか。
背丈が特別高いわけでもないし、太ってもいない。どちらかと言うと痩せている子だ。
そういえば、この子は毎日シーザーに会いに来て、一番積極的に接している。確か名前は……ヨキだ。
「……どう?シーザー」
シーザーはヨキに背を示した。
ヨキは恐る恐る背に乗り、シーザーの首にしがみついた。
「……あったかい」
周りの子供達もねだり始めた。
ヨキは独り占めしたりせず、すぐに別の子に譲った。
子供は素直だ。
恐ろしいものは徹底的に拒否する。
逆に安心できるものには完全に心を開く。
子供が懐くということは、それは害為さぬモノということだ。
だが大人はそうはいかない。
本能が磨り減り、何が善く、何が悪いのか、頭で考えて結論を下す。
どちらが良いとは甲乙つけ難いが、大人は子供の本能を理解してくれればと思う。
変わった毛色、異常な成長。
シーザーを魔物と疑っても不思議ではない。健全な判断だ。
だが、一度でもシーザーが子供達に危害を加えただろうか。
“基準”から外れるものは除外、果ては排除。
自らを、家族を、仲間を守る為とは言え、その汚い精神に嫌悪感を覚えた。
「ヒューゴさま?」
遠慮がちな子供の声で、ヒューゴは思考を引き戻した。
「ん?なに?」
「ううん……なんか、怖い顔してたから。大丈夫?ヒューゴさま。お腹痛い?」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
声を掛けてくれた少女は、にっこりと愛らしい笑みを浮かべて去った。
シーザーを囲む輪の中へと戻っていく。
* * *
子供達が飽きて、去って行った中、一人残ったのはヨキだった。
彼はチシャの子供だ。
「シーザー、大きくなったねぇ。こんなに大きくなったんだから、悪い狼をやっつけてよ」
「悪い狼って?」
「ほら、家畜が悪い狼に殺されたんでしょ?」
「うん、でもお母さんとかはシーザーを疑ってない?」
「お母さんはそう思ってるみたいだけど、僕は絶対違うと思うよ」
「どうして?」
「お母さんと同じ目なんだ。緑色の。それなのに、悪いことするわけないでしょ?」
「……そうだね」
ヨキはその後しばらくシーザーとじゃれて、帰って行った。
「ヒューゴ」
名を呼ばれて、ヒューゴは声の方を向いた。
そこに居たのは、クリスだ。
「少し、いいか?」
頷くと、耳元に口を寄せてきた。
他人に聞かせたくないことらしい。
……いや、今近くにはシーザーしか居ない。シーザーに関わることなのだろう。
「……シーザーを早めに処分しようという動きがある。気を付けてやった方がいい。これは何か起きるぞ」
「そんなこと、言われなくても」
「……そうか。それなら良い」
低い唸り声が聞こえた。
足下を見ると、シーザーがクリスを睨んでいた。
クリスは、ふと微笑うと、ヒューゴから離れた。
「すまなかったな。お前の主人、少し借りたぞ」
シーザーはまだ睨み付けている。
ヒューゴが名を呼んで諫めると、足に擦り寄ってきた。
その頭を撫で、クリスを見た。
「忠告ありがとう」
「いや。では、私はこれで」
クリスが立ち去ると、シーザーは見上げてきた。
クリスが何を言ったのか知りたがっているのだろうとは思ったが、これ以上シーザーに負担を掛けたくなかった。
きっと、言わなくてもシーザーはわかっている。
何でもないと告げて、その場を立ち去った。
まだ日没までには時間があったが、早く部屋に戻った方がいい気がした。
先程までは、強気な態度で臨もうと思っていたが、クリスに言われて急に不安になった。
* * *
翌日、ササライが帰って来た。
疲れているだろうし、申し訳ないと思ったがすぐに話を聞いてもらうことにした。
その旨を、ディオスを通して伝えてもらった。
すぐに返事があり、この後すぐに、ということだった。
まだ日差しの強い時間帯だ。日没に重なることは無いだろう。
すぐにササライの待つ部屋に向かう。ノックすると、中からササライの声で返答があった。
静かに扉を開けた。
シーザーを先に入れ、自分は後から入って戸を閉める。
中にはササライ一人だった。
側近のはずのディオスはいない。ササライが下がらせてくれたのだろう。
「やぁ、君が僕に相談とはね。……ところで、その狼は?珍しい毛皮だ。それに……随分強い呪いにかかっているようだ」
ヒューゴは目を見開いてササライを見た。
「……どうやら相談とは、そのことらしいね。詳しく聞かせてくれるかな?」
頷いて、ヒューゴは話し始めた。
この狼はシーザーであること。数日前、急にこうなっていたこと。身体の変化は太陽と関係があるらしいこと。
急激に体が成長していること。
全て話した。
ササライは黙って聞いていた。シーザーも横に鎮座している。
「……厄介なモノに厄介な呪いをかけられたね」
「……どういうことですか?」
「まず、呪いの効果を説明しよう。とりあえず、掛けたらどうだい?」
ササライに言われた通り、ヒューゴは側の椅子に腰掛けた。
シーザーはその足元に座る。
「太陽が昇っている間、狼になるというのはもうわかっているだろう?」
「はい」
「呪いはそれだけじゃあない。それは肉体の急成長に関係があるんだ」
「成長するのも、呪いだというのですか?けど、それにどんな意味が?」
「獣の肉体の成長は則ち、獣の本能の肥大を表す。体が成長すればするほど、人間の心は獣の本能に喰われていく」
「そんな……」
「獣の外見が成獣に成った時、彼は完全に狼になるだろう。そうなれば、日が沈んでも肉体が人間に戻ることは無い」
ヒューゴは、覚えず拳に力を込めた。
シーザーは、他人事のように聞いている。
「成長を止めることはできないんですか?」
「彼自身の力に懸かっているね。彼の人間の心が獣よりも常に勝っていればいいんだ」
「では、呪いの解き方は」
「……それが問題なんだ。狼男の話は知っているだろう?」
「はい……」
「あれは月の呪いだ。月の魔力が満ちる時、つまり満月の時。その夜に呪いが発動し、呪いを受けた者は獣となり正気を失う」
「それが……?」
「彼がかけられた呪いもよく似ているだろう?太陽の魔力が満ちている時に獣となり、だんだんと正気を失う。月よりも数段タチが悪いけれどね」
「まさか、シーザーの呪いは……」
「そう。太陽の呪い」
「一体誰がシーザーに呪いなんか……」
「厄介なのはそこだ。月、太陽、大地、大いなる自然の呪いは、ヒトには扱えない。
いや、この世にあるモノには扱えない」
「じゃあ、シーザーに呪いをかけたのは、太陽自身?!」
ササライはヒューゴを見据えたまま頷いた。
「どうやったらそんな呪い解けるんだ……何で、太陽がシーザーに呪いなんか……」
「……太陽は炎を統べるモノ。炎を統べるのは、真の炎の紋章。……わかるかい?」
「太陽は、オレが炎を支配するのに相応しい器かを試してる……それじゃあ、オレが太陽に認められれば、シーザーの呪いは解ける」
「そういうことだね」
「どうして……なんでそんな卑怯なことをするんだ!なんでシーザーを……!」
ヒューゴは自分の膝を拳で殴った。
シーザーがヒューゴの膝に顔を乗せた。
それのおかげで、ヒューゴは我に帰った。
「……シーザー。ごめん。シーザーが一番つらいのに、オレ……ずっと後ろ向きなことしか言ってない……」
シーザーは突然唸って、吠えた。
驚いて顔を見ると、烈しい瞳で睨んでいる。
「……優しいな、シーザーは」
ふいっとシーザーはそっぽを向いてしまった。
「……それで、ササライさん。オレが認められるにはどうしたらいいんですか?」
「僕にもはっきりわからないけれど……太陽の精に会えれば……」
「精……精霊?」
「それに近いだろうね」
「……アイラだ!アイラなら精霊の声を聴ける!」
「試してみる価値はあるかもしれないね。ただ、太陽程の高位の精がそう簡単に……」
「あっちから仕掛けて来たんだ。出来ます」
「……そうか……そうだね」
先程まで、手掛かり一つ無かったのに、今は解決策までわかってしまった。
急激な展開に、ヒューゴは興奮を抑えきれなかった。
「ササライさん、ありがとうございました。……ところで、なぜこんなことを知ってたんですか?」
「真の紋章について調べている時に偶然、ね。まさか役に立つとは思わなかったよ」
「ササライさんも土の紋章を継いだ時、こういう試練を受けたりしたんですか?」
「いや……僕は無かったな。太陽は気が強いのかもしれないね。太陽の呪いについての情報は多かったし、何度も紋章の継承者に試練を与えているようだよ」
クスクスと笑って、ササライは言った。
「あぁ、けれど、月の方が気が強いんだね。紋章に関係の無い一般の人にも呪いをかけてしまうんだから」
ササライの軽い冗談に、心の緊張がほぐされた。
不思議な人だ、という感想を持った。
「……シーザー、先に外に出ててくれるか?」
シーザーは無言で扉に向かい、その扉を前脚で掻きながらヒューゴを見た。
ヒューゴが開けてやると、外に出て扉の前で座り込んだ。
「ごめん。すぐ終わるから」
扉を閉め、ヒューゴはまた席についた。
「どうしたんだい?」
「獣の心が人の心を浸食するって……」
「それが?」
「浸食された人の心は戻らないのですか?」
「……何とも言えないな」
「もう……もうシーザーは獣になりかけているんだ。小動物とかを見ると、目が変わって……。隠してはいるみたいだけど、それでもどうしようもないことがあるんです」
「獣の本能が表れる分、心そのものが無くなりかけているんだろう。……とにかく、呪いを解いてみればわかるだろう」
「……はい」
他にも、幾つか聞きたいことがあった。
もし、シーザーが完全に獣になってしまった時には戻せるのか。
獣になれば、今ある記憶は消えてしまうのか。
……どれも、ササライには確実な答えは出せないようだ。
もう一度礼を言って、ヒューゴは立ち上がった。
扉に手を掛け、部屋を出ようとした時、ササライが声をかけた。
「どうか上手く試練を乗り越えてくれ。そうすれば、君は炎だけでなく太陽の加護までも受けられるだろう」
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