「そういえば、朝から何も食べてないや。シーザーも、何か食べるだろ?」
城に入る直前に、急に空腹を感じた。
朝からいろいろあって、そんなことを気にしている暇など無かったのだ。
ヒューゴが尋ねると、シーザーは一つ鳴いた。
同意の意と解して、レストランに向かう。
昼食には少し遅い時間だ。
レストランにはまばらにしか人がいなかった。
「メイミ、犬の餌ってできる?」
「あらヒューゴ様。……綺麗な犬ね。その犬の?」
「うん、そうなんだ。こいつグルメでさ、人間でも食べられるような物しか食べないんだけど」
「わかったわ。とびっきり美味しいの作ってあげる!そんな綺麗な犬が食べるんだもんね」
「うん、お願い。それから、オレの分も何かお願いしていい?」
「任せて!」
メイミは、すぐに奥に引っ込んで、しばらくするとまた戻ってきた。
手には温かい食事を持っている。
「こっちがそのコのね。味見してみて」
言われた通り、一口口に運んだ。
見た目は、普通の人間の食事と変わらない。
リゾットのようなものに見える。
「……おいしい!」
「ヒューゴ様のだって同じくらい美味しいわよ?」
「メイミが作ったんだから、全部美味しいのは当たり前さ」
「ありがと。……ヒューゴ様って、たま〜に女の子がドキッとしちゃうようなこと言うんだよな〜」
「え……?オレ、今何かおかしいこと言った?」
「ううん、ほら不味くならないうちに食べてよ!」
「うん。メイミ、ありがとう」
隅の方のテーブルを選んで座った。
あまり目立つのは得策でないだろう。
「地面に置くのは……嫌だよな。上に置いて食べられる?」
シーザーは椅子に飛び乗った。
やはり地面に置いて食べるのは嫌なのだろう。
だが、反対側に座るヒューゴからは辛うじて目が見えるだけだ。皿に口が届くのか心配だ。
とりあえず、シーザーの目の前に食器を置いてやる。
だが、シーザーは食べようとしない。
「……どうした?」
じっとヒューゴを見つめると、立ち上がってテーブルに手を掛け、鼻で皿を押し出してきた。
食べたくないとでも言うのだろうか。
「いらないのか?メイミが作ってくれたのに」
シーザーは首を横に振り、更に皿を押し出してくる。
シーザーの行動の意味がわからず、首を傾げるとシーザーは口を大きく開けた。
「……自分で食べられるだろ?」
シーザーの求めていることがやっとわかった。が、ヒューゴがそこまでしてやる筋合いは無い。
姿が変わって、シーザーが我が儘になった気がするのは気のせいだろうか。
シーザーはしばらくヒューゴを見つめていたが、ヒューゴが無視して自分の食事を始めると、椅子から飛び降りてしまった。
「シーザー?」
拗ねたのか、気を悪くしてしまったのか。
とにかく、何処に行ったのかと、捜すために少し椅子を引いた。
すると、捜そうとしていたその本人が膝に乗ってくるではないか。
「……シーザー?」
シーザーはテーブルに体を向け、ヒューゴを無言で見上げる。
シーザーは我が儘になったが、自分の押しも弱くなった。
この姿はどうにも戦意を喪失させる。
仕方無く、テーブルの反対側にある皿を引き寄せる。
「……今日だけだぞ」
シーザーを赤子を抱くように抱き直し、口に料理を運んでやる。
嬉しそうに尾を振る姿を見て、愛しさが込み上げてきた自分の心が恨めしかった。
* * *
「さっき考えてたのは、シーザーのことなんだ」
部屋で、ベッドに腰掛けて膝の上のシーザーに話し掛けた。
こうして膝に抱いたり、頬を舐められるのにも慣れた。
シーザーだと意識するとやはり顔から火の出る思いだが、これは犬だと言い聞かせれば非常に可愛い犬なのだ。
シーザーには失礼かもしれないが。
「どうやったられるか。それで、これは魔術なんじゃないかと思った。だから、魔法に詳しい人に話を聞いてみようと思うんだ。当然、今のシーザーの状態を伝えないといけないんだけど、話すとしたら誰がいいと思う?」
シーザーは耳を伏せてしまった。
困った表情に見えた。
「……あぁごめん。じゃあ順番に言っていくから、いいと思う人の名前の時に吠えて」
シーザーの耳が、また立ち上がった。
ヒューゴは、思い付く魔法使いの名前を挙げていった。
シーザーが吠えたのは、ササライの名前が出た時だった。
「……でも、ササライさんは今ルビークに行ってるね。オレ達が会いに行ってもいいけど、そろそろ帰って来るし、入れ違いになったりするかもしれないから帰りを待った方がいいかな?」
シーザーは一声吠えた。
「うん、じゃあまだ時間かかっちゃうけど、ごめんな?」
シーザーはしばしヒューゴを見つめ、立ち上がるとヒューゴの顔を舐めた。
何度も、何度も。
最後に唇を舐めて離れた。
そんな風にしか感情を表すことができないシーザーが急に切なく思えて、ギュッと抱きしめた。
「絶対、戻してやるからな」
腕を緩めて、顔を両脇から挟んだ。
シーザーは嫌がりもせず、真正面からヒューゴを見つめている。
目を閉じ、唇を、鼻先にそっと触れさせる。
冷たい。
濡れた感触がした。
少し下にずらして、口を自分の唇で覆う。
まだ永久歯になっていない、幼い歯列を感じた。
硬いそこから、柔らかく温かいものが差し出された。
ヒューゴが口をほんの少し開けると、スルリと入り込み、中を舐めてすぐに出ていった。
そのまま口まで離れていってしまったので、不安になって目を開けると目の前にいた。
舌が、頬をなぞる。
「……?オレ、泣いてる……?」
慌てて自分の掌で拭いたが、一度溢れたものはなかなか止まってくれない。
後から後から、じわじわと溢れてくる。
自分が泣いてもどうにもならないし、自分が泣く理由などない。けれど、切なさが胸を満たして、どうしようもなかった。
「……シーザぁ……!」
きつく、力一杯シーザーを抱きしめた。
シーザーは何も言わず、何もしなかった。
どうしてこんな試練を与えられなければならないのだろう。
シーザーは何も悪いことはしていないのに。
切なくて、切なくて、悲しくて……シーザーが可哀想で、胸が押し潰されてしまいそうだった。
* * *
気が付くと、ヒューゴはベッドの中に入っていた。
一瞬、シーザーが人間に戻ってヒューゴを寝かせてくれたのかと思ったが、すぐに間違いに気が付いた。
すぐ横に、シーザーも丸くなって寝ている。犬のままだ。
ヒューゴを布団にいれてくれたのは他の誰か……ジョー軍曹あたりだろう。
先程からそれほど時間は経っていないようだ。西陽が射している。だが、すぐに沈むだろう。
シーザーの背中をそっとなでてやった。
それに応えるように、小さく尾が動く。薄く目も開いた。
「ごめん、起こした?」
シーザーは顔を上げ、大きく細かく尾を振って布団を叩いた。
ヒューゴが目を覚ますのを待っていたようだ。
考えてみれば、寝起きの悪いシーザーが、触られたぐらいで起きるはずがないのだ。
シーザーは立ち上がって歩み寄ると、ヒューゴの肩のあたりに伏せた。顔だけ持ち上げてヒューゴの顔を覗いている。
頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。
部屋が薄暗くなった。
太陽が沈んだようだ。
ほぼそれと同時にシーザーの身体が震え始めた。
痙攣を起こしたような、細かい震えだ。
「シーザー?」
心配になって声を掛けるが、シーザーは反応を示さない。
這うようにして、ヒューゴから離れていった。
ベッドの中央まで行くと、震えは激しさを増し、ついにはのたうち回り、苦しみ始めた。
苦しそうな唸り声も聞こえた。
「シーザー!どうしたんだよ、シーザー!!」
暴れ回っていたのが、突然動きを止めた。
四肢を突っ張り、シーツに爪を立てている。
毛が逆立ち、頭を低く構え、一体何が起こっているのかヒューゴには全くわからない。
しばらくそのまま膠着状態が続き、ふるりと身を震わせたと思うと、変化が始まった。
ヒューゴは息を飲んだ。
目の前でシーザーの身体がみるみる変わっていく。
骨が音を立てて変形して、手足が伸びてゆく。
尾は縮み、毛は無くなっていき、全身が大きくなって……これではまるで人に戻っているようだ。
いや、まさしくそうなのだ。
すぐに、シーザーは人間へと完全に戻った。
手をついたまま、荒い呼吸を繰り返している。
「シ、シーザー……?」
声をかけると、シーザーはゆっくりと振り返った。
「ヒューゴ」
腕を広げ、ふわり、と優しく包み込んでくれた。
恐る恐る、裸の背中に腕を回した。
「やっと、この腕でお前を抱き締められる……ヒューゴ」
「シーザー……戻ったのか?人間に、戻れたんだよね?」
首を横に振る気配がした。
「なんでだよ!ここにこうして居るじゃないか!」
「違うんだ……これは太陽が沈んだから戻れた。どうやら太陽がある間は獣らしい。太陽が無くなった時、俺の中で何かが外れて、そうしたら人間に戻れた。獣になった時も、太陽が昇った瞬間に変化が始まったんだ」
「そんな……じゃあ、朝になったらまたシーザーは犬になっちゃうのか……?!」
シーザーは深く、頷いた。
また涙が滲んだが、シーザーをきつく抱きしめてやり過ごした。
「ひどいよ……何で……」
涙声になってしまったので、泣きそうになっているのは気付かれてしまっただろうか。
しかし、シーザーは何も反応しなかった。
それもシーザーの優しさの形だった。
「……シーザー、どっか痛くない?」
「ん?」
「さっき、あんなに苦しそうだった」
「ああ、大丈夫だ」
髪を撫でてくれる手が心地良い。
シーザーは少し離れ、間近でヒューゴを見つめた。
目を閉じると、唇が重なった。
それは普段よりも情熱的で、切なさを纏っていた。
* * *
朝、シーザーがきつく抱きしめてきたことで目が覚めた。
「ん……何だよシーザー……まだやっと日が昇ったところ……」
はっと気が付いた。
そうだ。もう日が昇ろうとしている。
「悪い、起こしたか……」
「そんなことはどうでもいい!それより、もう……なのか?」
シーザーは、額に汗を浮かべて微笑んだ。
「……みたいだな。何とか抵抗してたんだが、もう限か……っ」
顔をしかめ、言葉を切った。
シーザーの動きを制限してしまわないように、ヒューゴは離れた。
シーザーは己を抱き締め、身を縮ませている。
「痛いのか……?」
「いや……体の中で何かが弾けようとしてて、それが不快なだけだ。大丈夫。心配するな」
静かに頷いた。
しかし、やはり心配だ。
「ぐ……う……」
シーザーの身体が震え始めた。
それがきっかけになって、変化も始まる。
手の爪が伸び、体毛も伸び、耳が尖っていく。
「ヒューゴ、今日も、宜しくな」
「……うん」
話したシーザーの口からは、異様に鋭い犬歯が覗いた。
ヒューゴの返答を聞くと、シーザーは柔らかい微笑みを浮かべた。
しかしそれは一瞬で、すぐに苦しげに歪んでしまった。
「近くに居てくれ」
邪魔になるだろうと、離れていたのだが。
ヒューゴは、シーザーに近寄り、身を起こさせて抱き締めた。
シーザーも、自分の爪でヒューゴを傷つけないように注意しながら背中に腕を回した。
「う……あ、あああぁぁ!!」
シーザーが叫ぶと、身体の変化が一気に進んだ。
全身の骨が軋み、みるみる骨格が変化していく。
叫ぶ声も、いつの間にか犬の唸り声になっていた。
変化を終えたシーザーの様子を見ると、ぐったりとして疲れきった様子だった。
「もう一度寝た方がいいよ。まだ朝早い」
シーザーはうっすらと目を開けた。
ヒューゴが枕の上に下ろしてやると、すぐに規則正しい呼吸を始めた。
ヒューゴも隣に横たわり、シーザーの頬を撫でた。
シーザーが成長していることに気が付いた。
昨日までは片腕で抱けるほど小さかったのに、今はコロクと同じくらいの大きさだ。
シーザーの急成長が何を意味するのか、ヒューゴにはわからなかった。
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