淡い色の絨毯。
春の訪れ。
生命の喜び叫ぶ声が聞こえる。
思えば、一年前の今。これを一人で眺めていた。
* * *
入学式の日。
着慣れない制服に身を包み、桜が咲き誇る中一人、不安で胸を詰まらせて歩く。
今年の桜は、入学式まで艶姿を披露するのを待ってくれた。
葉桜も美しい。しかし花がやはり一番美しい。
高くから桜を見ると、絨毯の様だった。
遠くから見ると、ピンクの雲が空に浮いているようだ。
近くで見ると、樹の力強い生命を感じる。
桜だけではない。全ての生命が喜び謳っている。
生きている。生きている……と。
そうして、辺りは輝くような空気に満たされているのに、自分の心はどこか満たされていなかった。
何かが足りなかった。
未知の世界に踏み込むのが怖かったのかも知れない。
だがそれだけではない気がした。
それが何なのか、わかろうはずもなかったけれど。
まだ、散らないのだなと思った。桜の花のことだ。
桜は咲くとすぐに散ってしまう。花の寿命は短い。
だからこそ儚いものの象徴として云われることが多い。
桜は散っていく姿の方が好きだ。
己の役目を果たし、満足気にひらりひらりと舞う姿は、本当に綺麗だ。
桜吹雪。
淡い桃色をした雪。
今日は風が穏やかだ。今日散ってしまうことはないだろう。
光に満たされた道を歩き、しかし心にはぽっかりと大きな穴が口を開いていた。空虚で冥い穴だ。
この日を待ち望み、期待に胸躍らす時もあったというのに。
……あれは何時のことだったか。
もしかしたら、無かったのかもしれない。あるいは遥か昔なのかもしれない。
よく、わからなかった。
ただただ、この胸の穴を埋めるものが何なのかが気になる。
何だろう……。
どうしたら、満たされる?
わからない。
桜が、綺麗だと思った。
* * *
今日は風が強い。
先程から、桜の花が止まることなく地に落ちてゆく。
今年の桜は少し気が早く、卒業式に丁度良い頃に咲いて、もう散り始めた。
風が、髪を乱した。
見上げる空は、ピンクの雪と、同じ色の雲で埋まっている。
人の気配がしたので、そちらを見た。
その人物が目に入ると、微笑みかけて彼が辿り着くのを待つ。
彼は側に立つと、舞い落ちる花びらに手を差し伸べて、綺麗だと呟いた。
彼の掌に一枚、花びらが乗りかけたが、強い風がそれを吹き飛ばしてしまった。
もったいない、と思った。
地に堕ちる前の桜の花は、願いを叶えてくれるという。
彼の願いを叶えて欲しかった。
あぁ、そうかと気付いた。
彼の願いが叶うことが自分の願い。
ならば自分が桜を受け止めればいい。
桜の花に挑む。
量は多いが不規則な動きをするので難しい。
必死で追い回し、捕まえようとするがうまく逃げられてしまう。風まで味方につけているのだから狡い。
小さく笑う気配がした。
何事かと振り返ると、彼が微笑んでいた。
何故笑っているのかと問うと、何でも無いと言う。
それで了解し、また桜を追った。
やっと一枚捕まえて、念入りに願をかけた。
彼の願いが叶いますように、と。
何を願ったのかきかれたが、照れくさくて答えられなかった。
願をかけた花びらは、彼にあげることにした。
彼が持っていれば、御守りになるような気がして。
彼は、穏やかに微笑んで受け取ってくれた。
いつも持っている手帳に挟んで、ポケットにしまった。後で栞にでも加工すると言っていた。
絶対無くさないように言うと、無くさないと約束してくれた。それがすごく嬉しかった。
また、桜を見上げる。
今まで見た中で一番綺麗だ。
そう見えるのは、心の変化のせいかもしれない。
空虚感が失せていた。
考えずとも、その理由はわかっている。
彼だ。彼が心の穴にすっかりはまってしまったのだ。
もう心に隙間が無くなってしまった。
心の大部分は彼が占めている。
何時からだろう。彼の存在がこんなにも大きなものになったのは。
出逢ったその瞬間のような気もしたし、時間とともに徐々に……そんな気もする。
だが、そんな最近ではなく、もっとずっと前からのような気がする。それが一番正しいように思う。
あまりにしっくり心に溶け込んでいるから。
以前感じていたあの空虚感は、“穴”ではなかったのかもしれない。
それは彼の為に用意されていた“場所”で、光であるべき場所が暗かっただけ。
彼が入り込むことで明かりが灯された。
そう思うと、すごく素直に納得できた。
運命、なのかもしれない。
そうだと良いと思う。
風が、彼と自分の髪を乱し、桜を狂ったように踊らせた。
今日は、春嵐のようだ。
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