「おはよう」
駅でシーザーに声を掛けると、彼は眠そうな顔で振り返った。
「おぉ、おはよ」
「急がないと遅刻だぞ」
「……だな」
そう言って、全然焦った気配が無い。彼には遅刻など、大した問題では無いのだろう。
シーザーはいつもこのギリギリの電車に乗っている。
ヒューゴはもう少し早い電車に乗っていたのだが、シーザーがこの電車だと知ったから、それに丁度良い時間の電車に乗るようにした。
二人は反対方向の電車だが、上手くすれば一緒に学校に行けた。
付きまといすぎて迷惑だろうかと思ったが、そういう点ではシーザーは信頼できた。何を基準に、何を信頼できるのかよくわからないが。
「今日、頑張ろうな」
「あ?あぁ。そうだな」
やはり、そんな気は無さそうに答えた。
入学してはや三ヶ月。今日は球技大会だった。
この学校には、体育祭もあるが、球技大会もあった。
種目は、サッカー、バスケットボール、バレーボールの三つ。その中から一つ種目を選ぶ。
ヒューゴはバスケットボールに出る。シーザーも同じだった。
一番働かなくても目立たない種目だから、と言っていた。
ヒューゴが選んだのは、ただ単純にバスケットボールが一番好きだからだ。他も嫌いではないが、特に好きでもない。
「お前、キャプテンだしな。頑張れよ」
「うん」
キャプテンになったのは、成り行きだった。
キャプテンになりたがる人など、滅多にいない。大抵はじゃんけんか、押しつけ合いで決まる。
今回は押しつけ合いだった。
それなりに上手い人間に全員が押し付けていた。それを見ているのが嫌だった。
だから立候補した。
キャプテンとは言っても、ただのチームの代表者だ。
本当のバスケットチームのキャプテンのように、練習の指示はしない。ただの事務処理係だ。大した仕事ではなかった。
ただ、一般的な認識としてキャプテンは‘上手い人’だ。プレッシャーはある。
「……無理はしなくていいんだからな」
「うん、ありがとう」
* * *
学校では、もうほとんどの生徒が体育着になっていた。
二人もそれに倣う。
出欠の確認だけして、すぐにグラウンドに集合だ。
今日はよく晴れている。
六月。そろそろ夏が訪れようとしている時期だ。少し蒸しそうだった。
試合形式は、トーナメント戦だ。
一度負ければ、もう試合は無い。
試合の開始まで、まだ時間がある。
その間は何をしていても自由だった。
大抵は自分のクラスの応援に行くが、応援しない者もいたし、試合が無ければ練習をしている者も、ただただ時間が過ぎるのを待つ者もいた。
ヒューゴは、試合に向けて練習をすることにした。
今は同じクラスの他の種目の試合は無い。
バスケットボールのメンバーは、皆やる気のある者ばかりで、良い成績が期待できそうだった。
シーザーも、口では協力的でないが、そんなことは無かった。
積極的なプレイはしないが、チームに十分貢献していた。
* * *
「ヒューゴ、もう時間だぞ」
「うん、そうだね。皆、試合の準備をしよう」
試合が十分後に迫っていた。
五分前にはコートにいなくてはならない。
「キャプテン、何か声かけしてくれよ」
「え……?」
「皆で気合い入れるんだ」
急に言われても、困ってしまった。
無意識に、斜め前ぐらいにいるシーザーを見ていた。
目が合うと、小さく深く頷いてくれた。
「……うん。じゃあ、円陣組もう」
散っていたメンバーが、ヒューゴの許に集まる。
シーザーはヒューゴの隣に来てくれた。
大勢の人間の前に立つと、妙に血が騒ぐ。気が高ぶっていっているようだ。
オレがやらなければ……オレが皆を……皆を……引っ張っていかなければ。
キャプテンなのだから。
そういう気分になった。
隣の者と肩を組む。
シーザーと肩を組んだ。
何を言っていいのかわからず、しばし戸惑った。
それを察してくれたのか、シーザーの手が、肩を強く握った。
心が落ち着いた。
「……皆、頑張ろう!試合を楽しめ!!」
おぉ!!と威勢の良い声が響いた。
この高揚感、緊張感、体温が急激に上がっていく感じ。
心地よかった。
* * *
試合の運びは上々。
一回戦、二回戦と勝ち進み、ついには準々決勝。
ここまでは順調だった。
だが、準々決勝の試合。前半は引き分けだった。
そして今は後半の試合。ここで勝つか、引き分けにしなければ敗北だ。
引き分けになったら、延長戦。それも同点になれば、フリースローで勝敗を決する。
現在の点数は10対7。敵がややリードしている。
残り時間は僅かだった。
シーザーが敵のパスしたボールをカットした。
ノーマークであったはずの敵の前に飛び込み、空中でカット。
シーザーにしては珍しく積極的だ。見事なプレイだった。
観客から歓声があがる。
「シーザー!」
ヒューゴはノーマークで、しかもゴールに近い位置にいた。
シーザーがすぐにパスを回す。
高めに投げられたボールを跳んで受け取り、体を捻ってそのままシュートした。
ボールは、吸い込まれるようにゴールに入った。
耳が痛いほどの歓声と拍手。
だが、歓喜に満たされたコートに、無情にも試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
一点、足りなかった。
ゴールから落ちたボールが、虚しく地を跳ねていた。
ヒューゴはただそのボールを見つめていた。
「ヒューゴ!」
「シーザー……ごめん……あと一点……」
「何言ってんだ。最後のシュート、スリーポイントだぞ」
「え?!」
慌てて得点板を見る。
確かにそこには10-10とあった。
「次、延長戦だ。お前出るだろ?」
「う、うん」
「頑張れよ」
肩を叩かれた。
まだ、勝てる可能性はある。
シーザーの背後に、こちらをじっと見ている女子生徒がいることに気が付いた。同じクラスだ。
ヒューゴを見ているのか、シーザーを見ているのかわからなかった。
何となくその視線が気になって見ていた。
「かっこいい……」
遠くにいたにも関わらず、その言葉だけわかった。
急に、嫌な感情が湧き上がってくる。
彼女は、シーザーの、あのプレイを見てそんなことを言ったのだろう。
シーザーが誰かに注目されるのが嫌だった。
幼稚な独占欲だ。
彼女はきっとこれをきっかけに、シーザーに惹かれていく。
きっと彼女とシーザーの距離は縮まってしまう。
そうしたら……
「ヒューゴ?」
はっと、シーザーを見上げた。
「どうした?」
「何でもない。大丈夫だ。行こう。作戦たてなきゃな」
シーザーの腕を引いて、チームのメンバーに近づく。
わざとシーザーと触れ合った。
彼女に見せ付けるように。
* * *
延長戦は、12対6で敗北。
ずっと、例の彼女のことを考えていて、試合に集中できなかった。
そのせいでチーム全体の調子が狂い、結局こうなった。
負けて悔しい、皆に申し訳無い、と思うよりも先に、シーザーに呆れられることが怖かった。
ヒューゴは嫌われて、彼女の方へシーザーの心が傾いてしまったらどうしようかと、怖くて怖くて仕方無かった。
そうして、酷く弱気になっている自分に気が付いた。
こんなに後ろ向きでは、本当に嫌われてしまう。
堂々としていればいい。
好かれているか嫌われているかが気になるのは、友人として初期の段階だ。
絶対に好かれていると、自信が持てるようでなければ。
今、ヒューゴはシーザーとそれ程近くない存在だと自分で認めてしまっていた。
大丈夫だ。シーザーは自分を嫌っていない。
シーザーを信じよう。
「ヒューゴ、お疲れ」
「うん……ごめん。負けちゃったな」
「一年でここまできたんだ。上出来さ。キャプテンの力だよ。それに、試合楽しめたんだろ?」
「うん、ありがとう」
ぽんぽんと、肩を叩いてくれた。
叩かれた肩に、いつまでもその感触が残っていた。
クラスの他の種目の成績を見ると、バスケットボールが一番好成績のようだ。一年でここまで進んだのは、このチームだけらしい。
終礼で、拍手が送られた。
くすぐったくて、笑顔を禁じることができなかった。
* * *
終礼の後、ある女子生徒に声をかけられた。
シーザーを見つめていた彼女だ。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな」
彼女は何となく敵、という認識になってしまった。
だから、話など聞く筋合いなど無いと思ったが、そんなことを言っても彼女には理不尽に思えるだろう。
仕方無く承諾した。
シーザーとはいつも一緒に帰っていたが、先に帰ってもらおうとした。
だが、待っていると言ってくれた。
本当は一緒に帰りたかったから、あまり強く言うこともできず、結局待っていてもらうことにした。
彼女は、ヒューゴを人気の無い場所に連れて来た。
彼女の話の内容は何となく想像がついていた。
シーザーとの仲を取り持ってくれと言うのだろう。
おそらく、周りからはヒューゴが一番シーザーと近しい存在に見えている。
実際、そのはずだった。
もちろん、そのような申し出は断る。
相手がシーザーでなくても断ったと思う。
人に頼んで仲良くなろうなど、間違っている。
「話って?」
「……ごめんね、こんな所に呼び出して」
「いいよ。それで?」
彼女は、俯き、全身を緊張させていた。
その態度にイライラした。
「……あの……ずっと、好きでした!私のこと、どう思ってる?」
予想外の言葉に、思わず硬直してしまった。
彼女が見ていたのは、シーザーではなかった。
それは安堵することだが、自分が好かれてしまっていた。
こんな体験は初めてだ。
対応に困った。
もちろん彼女と付き合うつもりは無いが、ではどうやって傷つけずに断ればいいのだろう。
しばらく考え、ようやく言葉を絞り出した。
「……君のことは嫌いじゃ、ないよ。けど、そういう感情じゃないんだ。ごめん」
彼女の顔が、泣きそうに歪んだ。
「あ、あの、もっと君のことを知りたい。そうしたら、その……」
「……いいよ。誰か好きな人いるんでしょ?いつも見てたからわかる。ありがとう、優しいね」
先程まで敵だと思っていた人間が、急に立場が変わった。
複雑な気分だった。
「……ねぇ、最後にキスして?」
「え……?」
ヒューゴが答える前に、彼女は素早く顔を寄せてきた。
体を後ろに引くが、後ろは壁だった。
彼女の肩を掴んで、それ以上の接近を防ぐ。
「ちょ……待ってくれ!そんな急に……」
「ごめん……けど、これで諦めるから。ね、お願い」
真剣で、真っ直ぐな瞳で見つめてくる。
断りきれる雰囲気ではない。
心底困り果てた。
彼女はゆっくりと目を伏せ、顔を近付かせた。
強く押し返すこともできなかった。
「ヒューゴ」
人の声がすると、彼女は慌てて離れていった。
まだ、唇は触れていなかった。
「シ、シーザー?」
「ちょっと来てくれ」
「うん。……じゃあ、また明日」
「あ……うん……ばいばい」
逃げるようにその場を立ち去った。
「シーザー、どうしたんだ?」
「……困ってたみたいだったから。悪い、盗み聞きして」
「いや、ありがとう」
結局、彼女への敵対心は理不尽なものだった。
ヒューゴの勘違いのせいで、一時でもそのような感情を持ってしまったことが申し訳なかった。
同時に、自分のシーザーへの想いの大きさを知らざるを得なかった。
「お前は、人の上に立つ人間だ」
唐突にシーザーが言ったことに、戸惑った。
何のことを言っているのかわからない。
「……初戦直前の時に思った。お前の声で、皆の目が変わった。それから、延長戦はお前の感情が大きくチーム全体の士気に関わってた」
「……ごめん」
シーザーの言葉は、心の奥底の傷を的確に突いた。
「悪い。違うんだ。お前を責めてるんじゃない。それだけお前は皆に影響する。それを言いたかった」
「……人の上に立つ……」
「そうだ。皆を率いて……」
シーザーはそこで言葉を切った。
見つめてくるシーザーの瞳が、何を伝えようとしているのか、わからない。
空気が緊張していた。
それを和らげようと、笑いながら冗談めかして言った。
「じゃあシーザーが補佐してよ」
「補佐?」
「そう。う〜ん……軍師、みたいに」
「……軍師、か……」
シーザーは嬉しげな微笑みを浮かべた。
軍師、なかなか良い例えだと自分で思った。
「そう。オレの軍師になってくれよ、シーザー」
「……喜んで。軍主殿」
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