学生に、最も不人気な行事…そう。テストが始まろうとしていた。
ヒューゴも、テストは嫌いだ。
真面目だから、ちゃんと勉強はするが、できるならばそんなことはしたくない。
だが、テストがなければ勉強などしないから、ある方がありがたいとも思う。
問題と、解答用紙が配られる。
今日はテスト最終日。そして、今はその最後の教科だ。
本日最後のテストは数A。
チャイムが鳴るのとほぼ同時に、紙を裏返す音が教室に響く。
その音が治まると、あとはペンが机を叩く音しか聞こえない。
ヒューゴは、今回の範囲では数Aが一番苦手だ。いくら勉強しても、こればかりは無理だった。
テストの問題用紙を見ても、自信をもって解けそうな問題はほとんど無かった。
とりあえず、できそうな問題から手を付ける。
が、そのうちにできそうな問題もなくなり、後は手強いものばかりだ。
ヒューゴは気合いをいれ直そうと、首を回した。その時、ふとシーザーの様子が目に入った。
机に突っ伏している。
テスト開始から30分。もう全ての問題を解き終わり、見直しも終わったのか。
ヒューゴは呆れるよりも、感心した。
テスト中に寝るなど、余裕があることを自慢していると受け取る者もいるだろうが、シーザーにはおそらくそんな気は全くない。ただ欲望に忠実なだけだ。
ヒューゴはシーザーから目を逸らし、テストに取り掛かった。

* * *

チャイムが鳴る。
全員がペンを置く音が教室を満たした。
結局、あれから一問しか解けなかった。
いい点数はとれないと、覚悟を決めなくてはならなかった。
やっと解放された生徒達は、終わった〜などと言いながら、くつろぎ始めているが、ヒューゴはとてもそんな気分ではなかった。
とりあえず、出席番号順に並び替えられていた席を元に戻す。
隣にシーザーが戻って、ヒューゴの心は躍った。
普通こういう時にはテストの結果を訊くものだろうが、シーザーにはそれは無意味なのでやめた。
シーザーも、自分が人より優れていることは知っている。だから、他人に結果を訊くことは嫌味につながることも知っているのだろう。
互いにテストについては口にしなかった。
特に話すこともなく、会話をしないまま終礼が終わった。
「シーザー、帰ろうか」
二人で帰ることはもう当たり前になっていて、このような一緒に帰ることを前提にした誘い方をしても、違和感はなかった。
シーザーは気怠げに立ち上がった。
「…帰るか」
どちらかともなく歩きだす。
ヒューゴは、シーザーを見るだけで胸が高鳴るのに、隣に並んで歩くなど、心臓が爆発しそうだった。
この気持ちが顔に表れていないかいつも不安なのだが、シーザーがヒューゴの気持ちに気付いている様子はない。気付いていたら、もっと距離をおくだろう。
男が男を好きになるなど、ヒューゴ自身も変だと思っている。変…ではないかもしれないが、同性に好かれて喜ぶ人はあまりいないと思う。
シーザーと離れたくないから、このままの関係を続けるつもりだ。

* * *

楽しい時間は短いもので、すぐに駅に着いた。
シーザーとは反対方向なので、ここで別れる。
「じゃあ、明日」
「あぁ。じゃあな」
シーザーは、そう言って別れを告げたにもかかわらず、ヒューゴをしばらく見つめる。
ヒューゴも何事だろうと見つめ返す。
「…この後、暇か?」
「?うん…暇だよ」
ヒューゴは何かに誘ってくれるのかと、期待した。
別れ際まで誘わなかったことと、ヒューゴの顔を見て急に言い出したことを考えると、ヒューゴの感情が顔に出ていたのだろう。シーザーとまだ一緒にいたいという。
ヒューゴはそれに気付き、少し恥ずかしくなった。
その感情まで悟られたくなく、必死で表情を平静に保とうとした。
ヒューゴの答えを聞くと、シーザーはにっと笑った。
「じゃあ、俺の家、来ないか?」
「いいの?!」
シーザーは手招きをすると、ホームに向かった。
今はテストが終わってすぐなので、まだ午前だ。シーザーと一緒にいられる時間は大幅に増えた。
ヒューゴはシーザーを追いかけてホームに向かう。
「でも、急にオレ押しかけていいの?親とか」
「あぁ。俺一人暮らしだから」
「偶然だね。実はオレもなんだ」
「へぇ。それは初耳」
「オレだって」
シーザーは苦笑に近い微笑みをうかべた。
シーザーの家は比較的学校から近い。電車に乗っている時間はあまり長くなかった。駅からもたいして歩かずに着く。
シーザーが住んでいるのはどこにでもあるアパートで、名家出身の者にしては意外だった。
シーザーが鍵を開け、中に入る。ヒューゴもそれに続いた。
中の広さは、一人暮らしには丁度良い広さだ。家具は必要最低限しかなく、殺風景だった。
散らかってはいない。だが、シーザーは汚さないが掃除もしない主義のようで、普段触らない場所にはうっすらとほこりがかかっている。
シーザーが飲み物を用意して戻ってくると、ヒューゴはそれをありがたく受け取って、冗談っぽく言った。
「オレも人のこと言えないけどさ、掃除…しないの?」
「いいじゃん。どうせ…いや、なんでもない」
シーザーは途中でしまった、という顔をして言葉を切った。
どうせ、だけではその後の言葉を想像することは難しい。ヒューゴにはシーザーが何を言いかけたのかわからなかったが、シーザーが言いたくないことなのだから、聞き出そうとはしなかった。
「昼ごはんにはまだ早いよね」
「あ、あぁ…そうだな。どうする?誘ったはいいけど、俺の家何もないからな」
シーザーは、ヒューゴが先程のおかしな態度について何も言わないことに戸惑ったようだが、すぐにいつもの調子で答えた。
ヒューゴの顔を見てとりあえず誘ったようだが、特に目的はなかったらしい。
「あ、じゃあさ、数A教えてほしいんだけど。オレ本当に今回の範囲苦手でさ」
「いいけど、俺なんかでいいのか?俺は教えるのは下手だぞ?」
「そういえば前にも言ってたよね?…あれ、いつだったっけ…」
ヒューゴは記憶をたどったが、そんな会話をしたのがいつだったのか、思い出せなかった。普段のとりとめのない会話など、覚えていない方が普通だろう。
シーザーが妙に真剣で、窺うような視線でヒューゴを見つめていた。
「な、なに?」
「いや…ごめん。なんでもない。…お前、人との会話あんまり忘れないから、珍しいと思って」
ヒューゴは頷いて納得した。
シーザーは教科書を取り出すと、今回のテスト範囲の部分を開いた。
「じゃ、始めるか」

* * *

シーザーの教え方は、非常にうまかった。
昼食を食べる時間ももったいないと感じた。
数Aだけでなく、他の教科も教えてもらうと、それも全てわかりやすく説明してくれた。
夕方には、教えてもらうことがなくなってしまった。
「なんだ。シーザーうまいじゃん」
「お前の飲み込みが早いからだよ」
ヒューゴは素直に嬉しそうに笑った。
そろそろ日が沈もうとしている。また、シーザーとの別れが近付いていた。
「もう…帰らなきゃね。ありがとう。教えてくれて」
ヒューゴが立ち上がろうとすると、シーザーが引き止めた。
「今日泊まってけよ。明日休みだし。お互い親いないんだし、いいだろ?」
「い、いいの?」
シーザーはさも当然のごとく頷いた。
ヒューゴは、でも…と言葉をつなぐ。
「服とか…」
「俺のじゃ駄目か?」
「シーザーのじゃ大きいだろ?」
ヒューゴは不貞腐れた顔でシーザーを見た。
自分が小柄なのはよくわかっている。
「着られない程じゃねぇだろ。いいじゃん。泊まってけって」
「…本当に、いいの?」
「駄目だったら俺から誘ったりしねぇよ」
ヒューゴは確かに、と頷き、決心した。
「じゃあ、泊まらせてもらう」
「じゃ、とりあえず制服着替えよう」
シーザーはそう言って立ち上がると、背後の引き出しを開けて、服を何着か取り出した。
その一部をヒューゴに渡す。
着替え終わると、シーザーはヒューゴを見た。
が、見た瞬間に顔を歪め、屈み込んでしまう。
「な、なんだよぉ」
「いや…っくく…かわいいかわいい…っ」
シーザーは笑いを堪えながら言った。
ヒューゴはかわいいと言われたことが気に食わなく、むっとふくれた。
ふくれたまま脱いだ制服を畳む。
「ふくれるなよ。ごめん。謝るから」
「どうせチビだよ!いいよ。もう」
「拗ねんなって」
シーザーが頭をぽんぽん、と叩きながら言った。
それが子供扱いをされたように感じた。
「年下だからって子供扱いすんな!シーザーのバカっ!」
「はいはい。俺はバカですよ」
シーザーは軽くいなすと、台所に向かった。
もう夕飯の時刻だ。
ヒューゴも、自分の制服を畳み終わると台所に向かった。
「…手伝う」
シーザーはにっこり微笑み、ヒューゴに仕事を頼んだ。

* * *

夕飯も食べ終わり、入浴も済ませると、一つ問題が生じた。
「ベッドは一つ。俺の家には余分の布団も枕もない。どうする?」
「どうする…って言われても…」
「同じ布団で寝るか、俺が枕も布団も無しで寝るか。ちなみに俺の希望は前者」
「別々に寝るんならオレが枕布団なしで寝るけどさ。…シーザーがいいんなら、一緒に寝よう?」
シーザーは頷いて、床に座った。
寝るにはまだ早い時間だ。
同じ布団で寝ることを考えると、ヒューゴは緊張してきた。普通のベッドだ。かなり密着することはわかりきっている。しかも枕は一つ。
嬉しいが恥ずかしい。
そんなことを悶々と考えながら話していると、いつの間にか時間が経っていたらしい。シーザーが寝ようか、と声をかけてきた。
ヒューゴは慌てて首を縦に振る。
二人で布団に潜り込むと、体が今までにないぐらい密着した。シーザーの顔が真横にある。
友達ならこれぐらい何とも思わないのかもしれないが、ヒューゴには耐え難い。
「ヒューゴ」
シーザーに名前を呼ばれると、過敏に反応してしまった。
横を向いてシーザーの横顔を見つめる。
シーザーも少し首を捻ってヒューゴの目を見る。
「お前、俺のこと好きだろ」
ヒューゴは、自分の顔が熱くなるのを感じた。
室内が暗くてよかったと思った。
シーザーは、どういう意味で言っているのだろうか。いや、考えなくとも直感でわかっていた。
しかし、わざと違う意味で捉えたふりをして答える。
「好きだよ?今更何言ってんの?」
「違う。そういう意味じゃない。わかってるだろ?」
ヒューゴの唇が凍り付いてしまった。
好きだ、という言葉が何故かでてこない。さっきはあんなに簡単に言えたのに。
何故か、言わないという考えは浮かばなかった。心のどこかで、伝えたいと思っていたのかもしれない。
だが、どうしても口が動いてくれなかった。
…言葉で表せないならば。
ヒューゴはシーザーの頭を両手で挟み込み、唇を重ねた。自分でも体が震えているのがわかった。
ゆっくりと離れると、シーザーを見つめる。
その、深い森を思わせる緑の瞳を見つめていると、熱に浮かされたような頭がだんだんと冴えてきた。と同時に、自分のしたことの重大さに気付いた。
「あ…ご、ごめん!」
そう言って、ヒューゴはベッドから出て部屋を飛び出そうとした。
「待てよ!」
シーザーがその腕を掴む。
ヒューゴはシーザーの顔を見ないように、その手を放そうとしたが、シーザーは放さない。
「俺も、お前が好きだ」
ヒューゴは動きを止めた。
ゆっくりとシーザーを見上げ、両の目を見つめる。
「本当…に…?」
シーザーが頷くと、ヒューゴは顔を歪めて泣き出した。
緊張の糸が切れたことと、嬉しさで涙が溢れて止まらなかった。
シーザーはヒューゴを自分の腕で包み込んだ。
「オ、オレ…絶対、嫌われると…思っ…」
「好きだよ」
ヒューゴは頷くと、シーザーの背中にそっと腕を回した。
全身にシーザーの温もりを感じて、好きだ、と改めて実感した。
涙がやっと治まると、ヒューゴはシーザーを見上げた。シーザーもヒューゴを見つめ返す。
「今度は、俺からキスしていいか?」
ヒューゴは背中に回していた腕を、首に移した。
シーザーもヒューゴを抱き直すと、少し顔を傾けて近付いてくる。
瞼をゆっくりと閉じてシーザーを待った。

* * *

日の光を感じて目を開けると、シーザーがこちらを見ていた。
「おはよう」
ヒューゴは微笑んで返事をした。
シーザーの腕が脇に置かれている。軽く抱き締められるようなその格好が恥ずかしい。
「シーザー…これ…」
放してもらいたくて、それを訴えてもシーザーは放してくれない。それどころか、更にきつく、両腕で抱き締めてきた。
完全にシーザーに包み込まれてしまう。
「シーザー…!」
「嫌なら本気で逃げろよ。お前なら俺から逃げるぐらい簡単だろ?」
ヒューゴは赤くなって俯いた。
シーザーは嬉しそうに微笑むと、ヒューゴの髪に口付けた。
「なぁ、ヒューゴ。一緒に住まないか?」
ヒューゴはシーザーを見た。
唐突すぎて、意味を掴みきれない。
「俺の家でも、お前の家でもいいけど、一緒に住めば家賃が半額だぞ?それに、いつも一緒にいられる」
「一緒に…」
ヒューゴはシーザーをただ見つめるだけだ。
「一緒に…いたくないのか…?」
ヒューゴはゆるゆると首を振った。
そして突然泣きそうに微笑む。
「嬉しくて…」
シーザーはヒューゴの頭を撫でると、言葉を続けた。
「俺の家とお前の家、どっちにする?」
「ここの方が学校に近いし、ここにオレが来てもいい?」
「あぁ。じゃあそうしよう。準備はなるべく手伝うから」
ヒューゴは微笑んで頷いた。
自分からシーザーに腕を回すと、擦り寄った。
「ずっと…こうしたかった…。何度も夢にみて…。こんなに幸せでいいのかな…」
「いいんだよ。これからずっと幸せにしてやる」
ヒューゴは何度も擦り寄ると、一度離れ、間近でシーザーを見つめる。
そっと頬に手を添え、愛おしげに撫でると目を閉じて唇を重ねた。

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