軽い、乾いた音が響く。
訪問者が来訪を告げて戸を叩く音。平たく言えばノックの音だ。
ヒューゴは自室で剣の手入れをしていたわけだが、その音に顔を上げて答える。
「どうぞ」
中を覗き込んで来たその人は、アップルだった。
ひょっこりと顔だけを覗かせて、控え目に尋ねる。
「シーザーを、見なかった?」
「見てないよ。またいないのか?」
「そうなのよ。ちょっと目を離すともう……急ぐものは無いから良いのだけれどね、後で苦労するのは自分だって言うのに……」
憂えてアップルは溜め息を一つ。
ヒューゴは手に持つ剣を、布で一拭きしてから腰の鞘に収めた。双方の擦れる歯切れの良い音が聞こえてきた。
「ちょうどオレ暇してたし、探してくるよ」
「じゃあ、お願いしていいかしら?ヒューゴ君の言うことならあの子、ちょっとは聞くと思うから」
私はてんでダメ、と彼女は付け足す。
苦笑を返しながら、胡座を組む足を崩して立ち上がる。
アップルと共に部屋を出て、正面玄関で別れた。
「じゃあ、私は戻ってるわね」
「うん。じゃあ」
手を振ってヒューゴは外に、アップルは執務室にそれぞれ向かう。
扉を閉め、さて、と考える。
シーザーの行きそうな所はどこだろうか。
それ程遠くには行かない。いつも城の敷地内に止どまっているのだ。
本気でサボりたいのなら、遠くまで行ってしまえば良いのにと思うが、彼なりに何かあるのだろう。
とは言え、人目の多い所に堂々といるはずも無い。
選択肢としては、畑や牧場のある方しかいつも浮かばないのだった。
森を少し進んだ所にいることもあったし、木の上でも見掛けた。牧場の物陰や屋根の上にいることもあった。
今日はどこにいるだろうと考えながら、一段低い所にある畑に続く階段を下りる。
「よぉ、ヒューゴ様。野菜食ってるか?」
「やあバーツ。うん、食べてるよ。野菜は好きなんだ」
畑の主、バーツはここを通る人々に軽く声を掛ける。
自分の故郷を襲った、カラヤやリザードの者に対しても、だ。
見た目通り明るい人柄だが、軟派な性格ではなくて、彼を嫌う人はいなかった。
彼の、作物に対する愛情には気圧されるものがあるが、それが彼の魅力を損ねることは決して無い。
“野菜が好きな奴に悪い奴はいない"
これが彼の持論だった。
「そっかぁ。なぁお前達良かったなぁ。ヒューゴ様に好きって言われたんだぞ!」
笑みを浮かべて、野菜に語り掛ける。
愛しげに向けられるその視線は、自分の子供に対する正しくそれだった。
「……ところで、シーザー見なかった?」
「軍師さん?それなら、あっちに行ったぜ」
バーツが指したのは、牧場の方向だった。
ここを通ったのは間違い無いようだ。
「ありがとう!綺麗な野菜だね」
野菜を褒めると、バーツはにこやかに笑む。
バーツの言ったように牧場へと向かうと、まず見えてきたのは武術指南所だ。
そこで指南するはずのその人はいつも眠っていて、指南を頼めばだるそうに身を起こす。
眠っているのを起こすのも申し訳無くて、ヒューゴは指南は大抵他の人に頼んだ。
眠っているはずのジョアンを起こさないように、柵の外側をそうっと通り過ぎようとして、足を止めた。
一つのはずの人影が、二つ。
ジョアンと並んで気持ち良さそうに寝息を立てていた。
しばらく二人を交互に見て、柵を飛び越えて中に入り、その人、シーザーを見下ろす。
屈み込み、耳たぶを人差し指と親指で摘み、力一杯引っ張った。
「いでででででっ!?」
突然の刺激に飛び起きて、シーザーは耳を押さえる。
涙がうっすらと滲んで瞳が不自然に濡れていた。
「いてぇ……ヒューゴ?」
やっと傍らの人に気付いてシーザーはヒューゴを見た。
「仕事もしないでこんな所で昼寝か?」
「や、ちょっと休憩を……」
「アップルさんが待ってる」
言葉少なに告げて、ヒューゴは立ち上がった。
シーザーに背を向けて、足早に歩きだす。
「ヒューゴ?」
振り向く気にもなれなくて、無視して足を進めた。
「おい、ヒューゴ!」
シーザーが追いかけてくる気配がした。
それを感じて歩調を早める。
走り出すのも不自然な気がして、早歩きに止どめた。
しかしそれでは追いつかれるのは必然で、肩に手がかかる。
それを振り払い、足は止めない。
シーザーは少し後ろに付いて追う。
「なに怒ってんだよ」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
押し問答になるので、ヒューゴから先に流れを切る。
しばらくそのまま沈黙が続いて歩く。
またバーツの所に来た。
「お、ヒューゴ様。見つかったんだな」
「うん、ありがとう。助かったよ」
「いやいや。軍師さん、元気か?」
「あ?あぁ」
「野菜食うんだぞ!」
大きく手を振ってバーツは見送った。
カフェの方に向かい、城の地下に入った。
シーザーも後を付いて来る。
地下には人がいることはほとんど無かった。
壊れた牢の中に店を構える探偵は、いつもどこかに行っている。
他には特に何も無いので、通路としてぐらいしか皆使わない。
薄暗いそこを通っていると、突然後ろから肩を強く引かれ、気がつくと壁に押し付けられていた。
両手は押さえられ、動けない。相手がシーザーでも、この体勢では逃れるのは難しかった。
「放せよ」 「嫌だね」
「放せって!」
手に力を込めても、体勢が不利すぎる。
抵抗は諦めて、シーザーから顔を背ける。
「ヒューゴ、どうしたんだよ。お前、いつもならそんなに怒らないじゃないか」
「もう我慢の限界だったんじゃないか?」
突っ撥ねるように、自分のことを第三者のこととして話す。
「お前が我慢なんてする奴かよ。後から怒るぐらいならその場で怒る奴だ。違うだろ?何だよ」
「知らないよ」
シーザーは大きな溜め息を吐いた。
手を押さえる力が緩んで、何かと思えば腰と背中に腕が回って、抱き締められていた。
「な、何だよ!放せ!」
「ヒューゴ、話してくれよ」
「知らないって言ってるだろ!放せってば!」
シーザーの肩を強く押すが、それで引きはがすことができるはずもなく、逆に強く抱かれて、諦めるしかなかった。
「なあ、まだ怒ってる?」
シーザーに尋ねられて、ふと気付く。
「・・・・・怒って、ない」
今の今まで自分でも気付かなかったのだが、胸の中にあった靄のような苛立ちは、今は消えている。
素直に答えると、シーザーが耳元で笑う気配がした。
「じゃあヒューゴ、それヤキモチだ」
「なんでオレが焼き餅なんか!」
「ジョアンに俺が取られたみたいに思ったんだろ」
「思ってない!」
「思ったんだよ」
決め付けるようにきっぱりと言い切られてしまうと、反論の仕様も無かった。
「だからさ、こうされるの、嬉しいだろ?」
「嬉しくない」
答える言葉に覇気がこもらなかったのは、きっと動揺しているからだ。
シーザーの上体が少し離れて、正面からヒューゴを見つめた。
それが近付いて来て、慌てて止める。
「何する気だよ!」
「何って、キス」
「じゃなくて!」
「イヤ?」
「嫌!」
「なんで?」
「なんでって・・・」
理由を訊かれても困ってしまって、口ごもる。
「じゃあ嫌じゃないってことで」
「嫌だって!ていうか人!人来る!」
「来たらやめればいい」
シーザーが更に近付いてきて、見ていることもできずに目を固く閉じた。
柔らかいものが触れて、離れて、もっと深く繋がって、より深くなろうとする。
そうするうち頭の芯が痺れて、夢中でシーザーのキスに応えていた。
「ん・・っ」
気分が盛り上がって首に腕を回す。
シーザーも腰を強く引き寄せて、互いに口が薄く開き、もっと深いものになろうかという時、
ギィ……
扉の軋む音が地下に響いた。
ヒューゴは慌ててシーザーから離れた。
シーザーも、小さく舌打ちしてヒューゴを解放する。
「あれ、ヒューゴ様とシーザーさん?こんな所でどうしたの?」
現れたのは、少年探偵キッドだった。
こちらに声をかけながら、自分の領域と決め込んだ牢に入る。
シーザーは忌々しげに彼を見ながら答えた。
「……何でもねえよ。おい、ヒューゴ行くぞ」
「あ、うん」
シーザーが手を引くのに任せて、ヒューゴは寄り掛かる壁から離れた。
階段に入る角を曲がり、シーザーがヒューゴの肩を引き寄せる。
「続き、夜な」
耳元でそう囁いて、シーザーは一人で階段を上って行ってしまった。
それを見送り、溜め息と共に脱力して壁に背を預ける。
無意識に唇を指がなぞった。
まだ感触が残っている。
「……よる……」
それを楽しみにしている自分が、ほんの片隅にではあるが、確かにいた。

-------------

back

index

home

diary

novels
幻想水滸伝3
逆転裁判
その他

link