故郷を飛び出して数か月。馬の背に揺られながら心が落ち着かない。
悲しいような、愛しいような。
考えてみると、以前旅をしていた頃にしばしば感じた感覚だった。あの時は郷愁の思いだと思っていたが、今この時、それは有り得ないことだ。
これは何だろうと、内面を探ってみる。
どこかに、何かに惹かれているようだ。
何の考えも無く他方に目を遣ると、そこから風が吹いてくるような気がした。
(風……?この気配……)
その風は心を強く締め付け、苦しくなる。
同時に安らぐ。求めているもの全てを与えてくれるかのようだ。
そして、どこか懐かしい。
(……まさか、あいつが生きている!?)
一つの考えに至り、馬首を風の方向に向けた。
どれ程遠くなのかわからないが、その方向なのは確かだ。この風を追って行けば、彼に辿り着ける。
ずっと彼のことが気にかかっていた。それこそ、シーザーのことよりも気にした。気にしなければならなかった。
そうして走り続けること幾日か。気配が近付いているように感じた。
魔法や紋章のことには疎いので、どこまで信用できるものかはわからないのだが。
深い森の入口に立った。どれだけの広さか、わからない程度には大きな森だ。
中に踏み込んで行く。
立派な樹が多くあった。クプトの森を思い出す。あれほど神秘的で怪しい雰囲気は無いのだが。
森の中を徘徊すること、数時間。
風の匂いを頼りに歩いてきたが、どうやら目的のその人はこの森にいるらしい。森に入ってから、心のざわめきが激しくなった。
どくん、どくんと胸が苦しいほどに強く打つ。
首を巡らすと、目の端に自然界では異色な色彩が映った。
体が勢いよく反応して、その色彩を視界の中心に捉える。
考える間もなく駆け出した。
数多くある堂々たる樹々のうちの一つ。遠く離れたその根元にそれはあった。
駆けて近寄ると、その人物の全姿が見えてくる。残り数歩という所まで近付いて、足を止めた。
「……なんで……」
眠るその人の顔を見つめながら呟く。
頭は混乱の極みにあった。
「……なんで、シーザーなんだよ」
頬に左の手を伸ばした。
「……つっ!?」
紙で手を切った時のような、鋭い痛みが手の甲にあった。
見ると、血は出ないまでも、皮が薄く切れている。
触れようとすれば、攻撃されるらしい。
「シーザー……」
名前を呼ぶと、瞼が震える。
一度深く眠ってしまえば、なかなか起きないのはよく知っているから、根気よく名前を呼ぶ。
「シーザー」
やっとうっすらと開いた目が、しばらくぼーっとヒューゴではない方向を見つめる。
そういえば、ずっと引っ掛かっていた。
酒場の主人が、シーザーはヒューゴと同じように若くして一人旅をしていた、と言っていた。
あの時点での彼の年齢にその評価は不自然だ。
つまり、彼の肉体は年をとっておらず、十七のままだったから主人には若すぎるように見えた。
長い間があって、彼の視線がヒューゴを向いた。
目がはっきりと開いて、ヒューゴを凝視する。しかしすぐに表情は変わり、溜め息を吐いた。
「……会わなかったのか?」
シーザーは、案外に落ち着いた声で話し始める。
「会ったよ。追うなっていう伝言を聞いた」
「……で?」
「一度はカラヤに帰って、少し前に出てきたところだ」
「そうか……」
沈黙が流れた。
「何か、言うことは無いのか?」
「悪かった。黙っていなくなって」
「それだけ?まだ何も教えてはくれないのか?オレはずっと捜してたのに!」
「……遺跡を出てすぐに紋章が宿った。宿主を亡くして、咄嗟に行き場を探したんだろうな」
「そうじゃない!なんでオレを置いて行ったんだよ?!」
「……どんな顔をして会えば良かったんだ。この紋章は、ルックの紋章だ。そんなものを宿して、どうしろと……」
シーザーは言葉を濁して黙り込んだ。
「……あいつらは、どうなったんだ?」
世界の未来を嫌って、運命に背いた風使い。
いつもその隣りに静かに控える氷の魔法使い。
ヒューゴは彼らの最期を知らない。
「魂は、還った。二人一緒に」
「よかった……救われたんだな」
「ああ。だから、」
「それならどうして、オレから離れる必要があったんだ?」
「だって、お前、一生この紋章に付き纏われて、壊れちまうだろ?」
「オレはそんなに弱くない!シーザーはいつもそうだ。何でも自分の中で解決して、オレには何も教えてくれないんだ!」
弛みそうになる涙腺を、全霊で締め付けた。
「オレは、シーザーと一緒にいられない方が壊れそうだった!」
「……ヒューゴ」
呼び掛けに応えてシーザーを見る。
両手をヒューゴに向かって大きく広げて待っている。
誘われるまま、身を沈めていった。
シーザーの両のかいなが、強く強くヒューゴの体を抱き寄せた。
耳のすぐ側で囁くように。
「ごめん、ごめんな」
シーザーの襟足に顔を押しつけると、以前と少しも変わらない彼の香りが鼻腔をくすぐり、満たした。
堪えた涙も、耐え切れずに溢れ出す。
シーザーの腰に腕を回して服を強く握り締める。
「会いたかった、ヒューゴ。ずっと会いたかった」
声を発すると震えてしまいそうだったので、代わりに何度も頷いた。
なんとか涙を抑えて、話せる状態に自分を置く。
腕を弛めるとシーザーも力を弱めて、顔を互いに見つめた。泣き顔だが、気に止めない。シーザーにはかつて全てを見せた。
「オレ、もう一人で生きていかなくていいんだよね?」
「俺が一緒にいるよ」
弛んだ涙腺はなかなか元には戻らず、再び涙が視界を汚す。
涙ごしに見る世界の中で、シーザーの顔が近付いた。ゆっくりと瞼を閉じ、頬を温かい水が滑り落ちる。
柔らかく唇が包み込まれた。
何度も味わって、啄んで、十分に堪能してから離れて、視線を交えた。
シーザーは再び唇を重ねようと近付いたが、場に流れる空気が照れくさくて、触れる前に話を切り出す。
「シーザーは、なんでこんな所にいたんだ?」
「紋章が暴走するかと思って」
彼もまた紋章と生きる困難と直面していた。
気を抜くとどうなるかわからない。長く付き合っていれば慣れたが、それでも一人でいるのが一番安心できた。
誰も巻き込んでしまうことがないから。
世界の運命も見ているのだろうか。
ヒューゴは初めてそれを目の当たりにした時、慄然とした。
遠い未来、或いは近い将来、訪れる秩序の世。
そこでは親しい人も、愛したものも、自分のこともわからなくなってしまうのかもしれない。
全てが均一な灰色の、何も聞こえない、何も感じられない所。それは漠然とした恐怖である。
そして一人で永遠を生きる孤独。多くの親しい者の死を見つめ続けて生きていく。
その中で、一人でいるのだと思っていた。
しかし、シーザーと共にあれば不安は薄れた。
それに、一番怖かったのは彼を失うことだ。
彼が重い宿命を負うことになってしまったのは悲しいことだが、それを喜んでしまう複雑な心の内である。
「……あいつは、この世界を愛したんだ」
シーザーが遠くを見て呟く。
「愛するものを失うことに、耐えられなかったんだ。この紋章が、教えてくれた」
「でもあいつは間違ってた」
「そうだな」
失った多くのものを思う。
あの戦いでは失うばかりだった。
それはルックの引き起こしたことだ。
ヒューゴの腰を緩く支えるシーザーの右手に、自然と目が引き寄せられる。
ヒューゴからは見えないが、その甲には、渦を巻き複雑に絡む模様がある。
彼の右手を取り、模様を眺めた。
「皮肉なものだな。この紋章に翻弄されてたくさんのものを失って、でもこれのおかげでオレはシーザーを失わずにすむ」
「……」
「オレは幸せだよ。シーザーといられれば」
シーザーはただ黙っていた。

-------------

4← back

index

home

diary

novels
幻想水滸伝3
逆転裁判
その他

link