ルシアと定めた期限が近付いていた。
旅立ってから、五年が経とうとしている。
シーザーに関する情報は、やはり無い。一度途絶えると、もう二度と聞こえてこなかった。
次に向かう街で、最後にしようと思った。
そう決めて旅を続けていた時、酷い嵐に遭った。そのまま進むのは困難だと判断して、雨風を凌げる場所を見つけて休む。
旅人のための小屋らしく、生活の匂いは感じられなかった。
暖炉に、紋章の力を借りて火を灯し、フーバーと並んで座った。
そうしていて、突然来訪者があった。
扉が開いて冷たい風が吹き込んできたので、そちらを見やれば、若い青年が立っていた。
フードのせいで全体はわからないが、凛々しい目の印象の人だ。
その彼が、小さく首を傾げて尋ねる。
「……ここは、君の家?」
「いや、違うよ」
「そうか。じゃあ一緒していいかな?」
「うん」
青年は微笑んで中に入り込み、扉を閉める。
彼は雨に濡れて水の滴る外套を脱いで、同じように湿ってしまったのだろう、上掛けと頭のバンダナを外す。
すっかり簡単な格好になって暖炉に近寄った。
「すごいね。火があるんだ。紋章が使えるんだね」
「うん……まぁ」
紋章には変わりないが、彼の言う紋章ではないので、酷く曖昧な答え方になってしまった。
彼はそれを気にした様子も無く、隣りに座ることに許可を求めた。断る理由があろうはずも無いので軽く頷く。
彼はヒューゴの隣りに腰を下ろして、反対側の隣りにいるフーバーに目を向けた。
「グリフォンとは珍しい。馬の代わりには扱いにくくないかい?」
「フーバーは、友達なんだ」
「友達か……頼もしいだろうね」
うん、と頷く。
「君はグラスランドの人だね」
「わかる?」
「その服は目立つからね」
微苦笑混じりの返答が返ってきた。
「グラスランドは、ゼクセンとのいざこざが、やっと落ち着いてきたって聞いたよ」
「うん、そうみたいだ」
「五年くらい前かな。ハルモニアの侵攻を、協力して跳ね返したっていうじゃないか。一体どういう風の吹き回しなんだろう」
風、という言葉が酷く耳に残った。
彼は続ける。
「結局、あの戦いはよくわからない。ハルモニアと戦っていたのかと思えば、そのハルモニアの神官将がゼクセン、グラスランド連合軍に参加している。君達は一体何と戦っていたんだ?」
「……詳しいんだな。本当は、その問い掛けの答えも知っているみたいだ」
「知っているよ、炎の英雄」
聞いた途端に、体が勝手に動いて彼から十分に離れた。フーバーもそれに反応して身構える。
手が自然と腰のルフトにかかった。
「……誰だ?」
「とりあえず、君の敵ではないよ。どうこうするつもりなら、もうしてるよ。むしろ、君と同族の、仲間だ」
「同族?」
カラヤの、あるいはグラスランドの民なのだろうか。
しかし、彼の服装はグラスランドでは見掛けないものだった。
他に共通点があるとすれば。
「……真の紋章の継承者?」
「そう。勘がいいね。僕が宿すのは、通称ソウルイーター。魂喰いだ。生と死を司る紋章というのが正式な名前らしいけど、魂を吸って成長する性質からそんな異名を持つ」
「……同族というのはわかったけど、それがなんで敵じゃないことになるんだ?」
彼は一つ溜め息を吐いて、困った顔をした。
「疑り深いね。慎重なのは良いことだけど。けど、彼の話と随分違うみたいだ」
「誰?」
「シーザー・シルバーバーグ」
彼の顔を凝視する。
何を言っていいのかわからず、脳内だけは高速で思考が流れていく。
「な、え……シーザー?」
「そう」
「会ったのか!?」
「うん」
ヒューゴの求めていることはわかるであろうに、答えを焦らされることに苛々が募る。
彼がその苛つきもわかっていて平気な顔をしているのが尚腹立たしいことだ。
その苛々を全て投げ付けるように、強く彼に問い質す。
「いつ、どこで!」
「最近……そうだな。一月経たないくらいの間に。ある街で会ったよ」
「どこだ?」
「それは言えない。言わないと約束したんだ」
「……シーザーが、言うなって言ったのか?」
深く頷いて返答がある。
ずっと胸の奥底で、布を被せて見ないようにしていたものを、今見なければならなかった。
体の力が抜けて、彼の目を見つめる。
「伝言を預かってる」
「……聞きたくない」
「なぜ?」
「何を言われるのか、もうわかってる」
「そうかな、君はわかっていないと思うよ」
「……お前に、何がわかる」
憎悪に似た汚い感情が沸き上がる。
八つ当たりだと、自覚はあるがどうにも仕様がない。
「少なくとも今の彼について、君より知っている。まあ聞きなよ。この言葉をどう受け止めるかは君次第だ」
「聞きたくない!」
「『もう捜すな、」
「嫌だ!言うな!」
まだ言葉を続けようとするのを見て、耳を塞いだ。
全く質は異なるのに、彼の声がシーザーとかぶさる。
「お前とはもう会えない』」
耳を塞いでも、逃れることは出来なかった。
見開いた目に涙が滲む。それはすぐに滴となって床に落ちた。
ずっと恐れていた。
シーザーが消えたのはヒューゴから離れるためで、つまり、関係を断ち切るため。
それを知るのが……否、実際にはわかっていて、認めるのが恐ろしかった。
「……これを言うのは彼の本意ではないだろうけど」
涙を乱暴に拭って顔を上げる。
優しい顔をした彼がいた。
「彼は決して望んで君から離れたわけではないよ」
「なんでそんなことがわかるんだ?」
「……それは言えない」
「……でも、どっちにしろオレはもうカラヤに戻らなきゃならない。母と約束した」
「それでいいのかい?君の母上は、その約束を君を拘束するために取り付けたわけではないと思うのだけど」
「オレもそう思うよ」
ルシアは、ヒューゴに逃げ場を用意していてくれたのだと思う。辛くなったら帰る場所があるように。
五年という期限を言い渡されたが、それはあって無いようなものだろう。
公認でいつまでも野放しにしておくことはできないけれど、好きにして良い。気が済むまでやればいい。
そういうことなのだと思う。
涙が完全には収まってはおらず、それを堪えながら微笑む。
「でも、良いんだ」
「なぜ?」
「良いんだ」
彼は何も言わず、頷いた。
「じゃあ、僕はそろそろ寝るよ」
この小屋には部屋もなく、仕切りも無い。
彼は隅の方に行って、備えてあった毛布を被って丸まった。
ヒューゴは再び暖炉の前に腰を下ろす。
彼の言葉を信じるのなら、シーザーには何か考えがある。それなら、ヒューゴが追っても彼の妨げになるだけだ。捕まるはずもない。
邪魔にならないよう、おとなしく帰った方が賢い。
そんなことを、自虐的な皮肉を込めた思いで考えた。
それを考えて、次に浮かんだ言葉は、何故。
何故シーザーはいなくなった。
シーザーは、いなくなった……ヒューゴから、逃げた。
うっすらと涙が視界を汚した。
……寝よう。
考えても仕方ない。泣く意味は無い。
その場に身を横たえた。
フーバーの大きな翼が体を覆った。冷えた体と心にじんわりと温かい。
「……ありがとう」

* * *

翌朝、ヒューゴが目を覚ました時には彼はもういなかった。
彼にはまだききたいことがたくさんあったのだが、今更どうにも仕様が無いことだ。
嵐は治まって、まだ空はどんより重たいが悪くなることは無さそうだった。
「……帰ろう、カラヤに。今までありがとう、フーバー」
小さな声で背後から答えがあった。
そして背中をつつくものがあって、振り向くとフーバーが横に並んで背中を示す。
「……ありがとう。でも良いよ。もう、急ぐ旅でもないんだ」
落胆したような視線が返ってきて、苦笑した。
遠くに視線を移す。
シーザーが生きているとわかっただけでも良い。もしかしたらもう生きていないのかもしれない。そんなことまで考えたこともあったのだ。
昨夜の後ろ向きな気持ちは、今は治まっている。
カラヤに帰るのは、諦めたからでも、失望したからでもない。ルシアの後を継ぐためだ。それはヒューゴの望みでもある。
シーザーに会いたい。気持ちは変わらないが、今はその時ではないのだろう。
五年という年月をかけてそれを納得し、悔い無くカラヤで暮らせる。
族長となることができたとしたら、もうシーザーを捜すこともできないだろうが、それでも良いかと思う。いつまでも一緒にいられるはずもないのだから。
いずれ来る別れが早まっただけのこと。
黙っていなくなったことだけは納得ができなくて、腹立たしくて、殴り飛ばしてやろうかという気分にもなるが相手がいないので自分の心の内に収めるしかなかった。
万が一顔を合わせることがあれば、思い切り殴ってやろうと心に決めた。

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