朝目が覚めると、アーロンはもう居なかった。
ただ、居間には朝食の用意がされていて、何かあれば連絡するようにという趣旨の言葉と連絡先の書かれたメモがあった。
アーロンに認められたような気がしてティーダは嬉しかった。
実際には逆で、ティーダがアーロンを認めたからこのメモが残されたわけだが、ティーダにわかろうはずもなかった。
ティーダは昨夜のアーロンを見て、憧れを抱いた。強い男に憧れるのは少年として当たり前のことで、ティーダも例に漏れない。時々態度や口調に怯むことがあったが、それもまたティーダには魅力だった。そして優しい顔をすることを知ったから、もう怖いとは思わない。
アーロンが来るのが楽しみになり、向こうから来るのを待てずに呼んだこともあったし、引き止めて泊まらせることもあった。アーロンが父親だったらよかったのに、と何度か思った。
母の見舞いには、変わらず毎日行っていた。母はどんどんやつれて見ているのが辛かったが、側にいない方がもっと辛いだろうとわかっている。
そして父がいなくなってから数ヶ月。母は亡くなった。
その時涙は出なかった。母と会えないのは苦しくなるほど寂しいし悲しいのに、涙が出ないのが不思議なくらいだ。死ぬということが実はよくわかっていないのかもしれなかった。
アーロンに来てくれと言ったら、わかったとだけ言って来てくれた。
居間に座ってもらって、ティーダは彼の正面に座った。
「母さんが死んじゃった」
「そうか。……辛いな」
その通りだったから頷く。
「明日、お墓に行くんだって。一緒に来てほしいんだ。アーロンがいたら落ち着く」
「お前が望むのなら」
アーロンならそう言うと思っていた。彼がティーダの求めに応じないことは、ほとんど無い。
その日アーロンは、ティーダは何も言わなかったのに一緒に寝てくれた。一人で眠るのは寂しかったから、とても嬉しかった。
アーロンの腕の中で、母と寝た時のことを思い出してこっそり泣いた。泣きながら、母が死んで初めて泣いたのがなぜ今なのか考えていたら、髪を梳くように頭を撫でられて驚いた。嗚咽が止まらなくなり、アーロンの服を握りしめて泣いた。
寝付くまで、大きな手は休まず頭を撫でていてくれた。

* * *

母の葬儀が終わって、アーロンと共にティーダの家に帰った。
もうティーダの家の中をほとんど知り尽くしたアーロンが飲み物を入れる。ティーダの好みも知っていて、好きなジュースを選ぶ。
隣に座ったアーロンからそれを受け取って口に含み、飲み下した。アーロンは黙って座っていた。
「おじさん達がさ、一緒に暮らそうって」
昨日、母が亡くなった後、病院で言われたことだった。
「そうか」
何も感情の込められていない声だった。ティーダは何か感情を読み取りたかったができなかった。
「でもあの人達、嫌だ。僕のことを『ジェクトの息子』としか見てない」
「それならお前はどうしたいんだ」
結論を急がれて、ティーダは迷う。
これから言おうとしていることは、本当に言ってしまっていいものなのかずっと考えていたが、未だ答えは出ていないのだ。
それでも覚悟を決めて口を開く。
「僕は……アーロンと、暮らしたい」
断られたらどうしよう、としか考えていなかった。そうしたら関係はそこで終わってしまうような気さえしていた。
ネガティブな思考はアーロンの素っ気ない一言で止まる。
「わかった」
あまりにあっさりした返事に耳を疑い、確認にアーロンの顔を見たら頷かれた。それから声をあげて笑われる。
「そんなに泣きそうな顔をしなくてもいいだろう」
「泣きそうな顔なんてしてない!」
「そうか」
声には笑いを堪える響きがあった。
馬鹿にされているとは思わなかったが、面白くない。顔を背けて不機嫌を表す。
すぐに大きな手で頭を揉まれる。子供扱いされているようで嫌なはずなのに、不思議とティーダの機嫌は直った。
立ち上がってアーロンの顔を見る。もう笑顔は消えていたが、いつもより雰囲気が和んでいる気がした。
「ねぇ、今日も泊まって行ってよ。いつもみたいに客間にさ」
「ああ。構わん」
「よかった!」
母の葬儀のあった日なのに落ち込まずにいられるのは、アーロンのお陰だった。母との別れはとても辛かったがアーロンとの同居はそれと同じくらい嬉しいことで、一時辛さを忘れてしまった。
だが一人になると色々なことを思い出してしまいそうで、不安でもあった。
「……あのさ、一緒にお風呂入って、いいかな」
一人の時間をなるべく減らしたかった。
アーロンはすぐに返事を返さなかった。
いつも明確な返事をすぐにくれるから、怪訝に思ってティーダは首を傾げる。アーロンはティーダから少し視線を外した。
「ティーダ、見ろ」
そう言ってアーロンは服を脱ぎだして、上半身だけ裸になってしまった。
アーロンの体には、傷があった。大きな傷と、小さな傷がいくつか。ティーダの目はそれらに釘付けになった。
「怖いか」
「……少し」
正直な感想だ。アーロンは背を向けようとしたが、その前にティーダが声を発した。
「でも嫌じゃないよ!何て言ったらいいかわかんないけど、嫌な感じはしない」
「そうか」
アーロンは、背を向けずに、服を身につけた。
顔の傷と言い、今まで気にしなかったが山での戦闘と言い、アーロンはティーダが想像するくらいしかできないようなことを経験してきているらしい。そういえば、ザナルカンドでは剣や武器を持っている人は、かなり特殊な職の人だ。そういった職業の人を実際に見たことは無いけれど。
「お前には見ておいてほしかった」
「うん」
ティーダはアーロンの手を取った。初めて手で手を触れた。自分の手よりも、母の手よりもずっと大きい。ゴツゴツとしていて決して触り心地は良くない。そして温かい。
「お風呂っ」
「ああ」
アーロンが微笑んでいる気がしたが、彼は表情が読み取りにくいのではっきりわからなかった。

* * *

髪を拭くのが嫌だと言ったら、アーロンはいつも拭いてくれた。ティーダが駄々をこねるから彼が仕方なくやっているだけなわけで、決して手付きは優しくないがそれが好きだった。
今日も同じで、頭にタオルを乗せて乱暴に掻き混ぜられている。
服は着替えて、居間に座っていた。
「そろそろ自分でやったらどうだ」
「やだ。僕濡れたまんまでいいもん」
濡れたままでは風邪をひくと言って、アーロンも母もティーダの髪を拭いた。大人はお節介な生き物らしい。
背後から溜め息が聞こえた。
手の動きがもっと乱暴になる。そして唐突に動きが止まって、タオルが取り除かれた。
「終わりだ」
髪を触ったら、湿り気しか残っていなかった。
振り返ると、アーロンが自分の髪を拭いているところだった。
「なんで長いの?」
「髪か。さあな。昔から伸ばしている。理由など覚えていない」
「邪魔じゃない?」
「慣れだ」
「僕も伸ばそうかな」
「似合わんぞ」
即答されて、ティーダは拗ねた顔をした。
アーロンはその顔を見て小さく笑った。
「今日はよくしゃべるな」
非難や叱咤の意ではないのをわかっていたが、反省したような顔をしてアーロンを見る。
「うるさい?」
「構わん」
「うん、わかってた」
アーロンは一瞬面食らった顔をして、すぐに苦く笑った。
「生意気を言う」
ティーダは満面の笑みを返した。
立ち上がってアーロンの背後に回る。そのまま首に腕を回して、腰に足を絡めた。全体重をアーロンに預けている。
「……何をしている」
呆れた声だ。
「立って!」
「耳元で叫ぶな」
文句を言いながらアーロンは腰を上げた。
自分よりもずっと背の高いアーロンの視点では、世界が変わって見えた。
「アーロンいつもこんな風に見てるんだ」
「お前は小さいからな」
つい反射で声を張り上げる。
「僕そんなに小さくない!!」
「耳元で叫ぶな」
アーロンの文句を聞き流して、彼の肩に顎を置いた。ティーダと同じ石鹸の匂いがした。
「満足したか?」
「……同じ匂いがする」
「同じ石鹸を使った。当たり前だ」
「うん」
「もう寝ろ」
手足に少し力を込めた。
「何だ」
「連れてって」
「お前の足は飾りか?」
足をばたつかせてアーロンの腹を蹴る。
溜め息が一つ聞こえて、勝ったと思った。
「……わかった。だが今日限りと思え」
アーロンが歩きだした。景色が動いていく。一歩の大きさが違うと見え方も大きく変わった。
部屋でベッドに下ろされたら、自分で布団を被る。部屋の電気は点いていない。室内の光は開け放しのドアから入る居間の明かりだけだ。
アーロンはベッドの端に座ったまま、ティーダを見ていた。
「なに?」
「お前の母親は、眠る前に何か挨拶をしたか?」
「……おやすみなさい言って、おでこにキスしてくれたよ」
「そうか」
アーロンはティーダの額に手を当て、前髪を避けた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
アーロンの唇が額に触れた。存外甘い口付けだった。
唇を離すとすぐにアーロンは立ち上がって出て行ってしまった。扉が閉められて室内が暗くなる。
一人になれば母のことを考えたが、あまり悲しい気持ちにはならなかった。

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